以前、わたしは、企業不祥事に関する本を上梓した。


その中で、『「組織の不祥事」には大きく分けて2種類ある』と書いた。

あらためて、記述すると、

ひとつは、不具合や事故の再発や事件の発生の恐れが予見できたにも関わらず、業務管理が不十分なため、問題が必要以上に大きくなり、「社会問題と化してしまったケース」。

そして、もうひとつは「動機、機会、モラル違反」の3点セットが揃った時に発生する「不正」である。


組織のマネジメント能力を外部保証する制度は、国の法律に基づく制度やISO認証制度のような公的な機関が認定した民間の認証機関が審査する制度がある。

このうち、実際に仕組み上は担保される対象は「2種類ある組織不祥事の前者」つまり、「業務管理上の不祥事」であり、後者の「不正」は、ゼロではないが外部保証制度の中では、そこまで担保できないのが現実である。


具体的に言えば、「ある食品工場で生産された冷凍食品にガラス片が混入していて、口の中を切った消費者がいた」、というようなケースの場合は、マネジメントシステム上の不備であるから、発生原因を追及して、再発防止に取組み、仕組みが有効に機能すればこのような問題が再発するリスクは限りなく減る。

しかし、「社会に対して不満を抱くものがこの食品工場に勤務していて、農薬を冷凍食品に混入させた」というような「事件」の場合は、「異物混入を阻止する仕組み」までは、マネジメントシステム上作れると思うが、「悪事を働く個人」までは、実質的にマネジメントシステムでは担保できないし、担保しようとすれば、「万が一」よりケタの違う「億が一」を管理することになり、ビジネス的な生産活動は行えないことになってしまうだろう。


わたしは、マネジメントシステムに関する仕事(審査や構築・維持・改善のアドバイス)をしているが、業界関係者の中にも「結果的にできているからマネジメントシステムは機能している」という考え方をする方がまだまだ多いことに驚きを感じる。

適切な仕事のやり方をしていたとしても、「結果的」では、「意図してやった」のか「たまたまやった」のかがわからない。

つまり、「たまたま」であれば、再現性がないわけで、組織の仕組み(マネジメントシステム)としては信頼性が担保できないわけだ。


組織の仕事の仕組みを外部保証されるためには、外部の人に対する、説明が上手いことにこしたことはないが、上手くなくてもいいので

「仕事のやり方が意図して行ったことなのか」

そして、

「自分以外の人でも同じようにやることができるのか」

を意識して「仕事」をして欲しいものだと思う。

(※ 自分を変える“気づき”ロジカル・シンキングのススメ メルマガ392号より)



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