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歴史作家の加来耕三氏によれば、「現代のブラック企業」と「本能寺の変」には共通項があるのではないかと言う。
一般的には、歴史の転換点となった1582年6月に織田信長が重臣の明智光秀によって討たれ、豊臣政権の誕生のきっかけとなった「本能寺の変」の原因としては、
◇明智光秀が天下を横取りしたかった
◇名ばかり征夷大将軍の足利義昭にそそのかされた
などが主な説で、その他にも諸説がある。
しかし、加来氏は、「明智光秀の疲労」が原因ではないかと言うのだ。
どういうことかと言うと、この当時、明智光秀だけでなく、織田家の重臣たちは、みなヘトヘトに疲労していた。
羽柴秀吉も柴田勝家も前田利家も織田信長から「あちらに援軍を出せ」「こっちを助けるために兵を出せ」と言われれば、戦国時代ですから、自分の陣地も守りながら、やりくりして兵を出さなければいけなかった。
しかも、担当している戦域に兵を貸し出して勝利しても手柄はその指揮官のものになり、自分の担当戦域への進軍が遅れれば信長から、強く叱責されたわけです。
つまり、光秀に限らず、重臣たちは、大きなミスをしでかしたら追い出されてしまうかもしれない、という慢性的な精神的疲労に陥っていたのではないかというわけです。
要は、光秀は「俺たちは、信長の単に手足にすぎないんだ」「この先、どうなってしまうのだろう」といった人生への不安が鬱積していたところに、秀吉が担当する毛利攻めの出撃指令が出され「もうガマンならん」と「本能寺の変」を起こしたという説です。
仮にこの説が正しいとすると、まさに、「体力の限界まで働かせ、精神疾患に陥る」現代のブラック企業そのものです。
「いまどき、お前を雇ってくれる所なんかないよ、おとなしく我慢して働け」と公言する経営者はそんなに多くはいないと思いますが、結果的に「人使いの荒い人材管理」をしていると、その会社は、「損害賠償を請求される」「労働基準監督署から告発される」といったこととなり、信長のように自らを滅ぼすことになるのかもしれません。
(※ 自分を変える“気づき”ロジカル・シンキングのススメ メルマガ367号より)
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