利害関係のない世界での「人づきあい」は、「そのコミュニティ内で勘違いをして甘える」人がよくいる。
たとえば、あるわたしの行きつけのお店は、お店自体があまり商売っ気が無い。
そのためもあって(笑)、人格者である「常連客たち」が事実上、店主をサポートして「お代を徴収」している感じでなんとか経営が成り立っている。
このお店の特徴を話しだせば、キリが無いので、止めますが(笑)、家でまったり過ごしている感覚に多くの人が陥るほど居心地がいい。
そのため、客層の大半は「常連客」なのです。
店主の人柄で集まっているお客さんばかりなので、みんな、分別をわきまえた人格者が多い。
もちろん、常連同士で交流していると、「このおじちゃん(あるいはおばちゃん)、なんか変なこと言ってるよな」というシチュエーションもあるが、うまく、トラブルにならないよう「おとなの対応」をしている人が多い。
しかし、中には、「あまりにも居心地がいいコミュニティ」なので、「勘違い行動する人」が出てくる。
例えば、「お代」。
店主が、商売っ気があまりないので、明確な会計が実は不明だ。
わたしたちのような「分別ある常連客」は、店主の請求額より、暗黙に「少し多くおいて行く」ことが「このお店での常識」となっている。
しかし「勘違い常連客」は、店主が「次でいいよ」なんて、あいまいなことをいうと本当にそのまま帰ってしまう。
また、「あくまでも飲食店」だから、「お店に行くならお腹がいっぱい」でも、「何かを注文するのが礼儀」であるが、「勘違い常連客」は、何も注文しないで、延々と居座ってしゃべっている。
また、くどいが「あくまでもお店」だから、いくら居心地が良くても、「毎日、まともな注文もせずにお店に出没する」のは失礼だ。
自分で言うのも変だが「まともな常連客」のわれわれは、いくら居心地が良くても、「お店に対する配慮」を払うことを「常識」と考えるが、なかには、店主と仲良くなると「自分は特別扱いされている」と勘違いし、そして甘える。
さらに、こういう「甘える人」は、「なんでも許される」と思っちゃうんでしょうね。
政治や宗教に対する考えは、ひとそれぞれ考え方があっていいと思うが、度が過ぎた意見を主張するとトラブルになる。
だから、「分別ある人」は、適当に話を聞いて、トラブルにならないよう受け流す。
しかし「居心地が良い空間に勘違いし甘える人」は、「何をいってもみんなが自分に賛同してくれている」と勘違いする。
実際は「仕事上の関係ではない利害のない人の集まり」だから、分別ある人たちは、「めんどくさいな」と考えて「おとなの対応」をしているだけなのだが、それが「勘違いし甘える人」にはわからない。
もちろん「仕事の世界」は、なんだかんだと、「ストレス」がたまる。
だから、「居心地の良い空間やコミュニティ」では、ふだんためているうっぷんを「誰かに聞いてもらい」という想いは誰しもある。
しかし、いい大人なんだから、場をわきまえてふるまわないと、「ただの勘違い野郎」である。
「なんでも、共感してもらえる」って勘違いすると「暴言」が多くなる。
「仕事」だったら、自分を否定されたり、反発されたり、上と下の板挟みになったり、といろいろあるけど、「利害のない世界」は「自分を受け入れてくれる場所」だから、ちょっと気を許すと、まわりが「どん引き」していてもそれが見えなくなる。
賢明な人なら、こういう「勘違いな人」と関わるのが「めんどくさい」から、ニコニコして受け流しているだけだ。
こうした、常連客が集まるようなお店や趣味の世界のサークルは、本当に居心地がいい。
しかし、自分への自戒をこめて、こういった場では、「常に分別ある態度」「まわりが見える人」でいたいと思う。
(※ 自分を変える“気づき”ロジカル・シンキングのススメ メルマガ388号より)
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