米国におけるマスコミュニケーションの先駆的研究者の一人、ハロルド・D・ラスウェル氏によれば、「マスコミの役割」とは「3点」あるという。


1つ目は、「環境の監視」。

これは、社会や生活の場に、不都合な状況、危険な兆候がないか、常に監視し、現れると、いち早く周知、警告する役割である。

2つ目は、「社会の諸部分への連絡」。

社会内の部分と全体を結びつけたり、部分同士を結びつける役割である。

そして、3つ目は、教育や文化の伝承など、すなわち「ある世代から次の世代へ遺産を継承、伝達する」役割である。


そうした「マスコミの役割」をあらためて考えてみると、「号泣議員」こと兵庫県議会議員の野々村竜太郎氏(現在は辞職)の政務活動費による「年間195回の日帰り出張」の不自然さを追求したマスコミは、ラスウェル氏による「1つ目の役割」である「環境の監視」という点で、お手柄とも言える。


しかし、「号泣会見」の面白さから、私見であるが、「野々村議員を徹底的に追い込んだ感」がある。

つまり、究極の「公職」である「議員」に説明責任を求めるのは正解であるが、「彼だけ」になってしまった気がするのだ。


例えば、兵庫県議会では、政務活動費は、議員報酬以外に、月間50万円(年間600万円)支給(使用しなかった分は返還)されるわけであるが、平成25年度は、「定数92の兵庫県議会議員のうち23人」が、「600万円の政務活動費を使いきっている」というのだ。



野々村氏は、政務活動費として「175万円分」を切手代として請求していたが、その他にも、「144万円分の切手代」を、使途を裏付ける資料添付なしに請求していた議員もいたという。

野々村議員の場合は、東京、福岡、城崎、佐用の約4ヶ所の日帰り出張を合計195回も計上していて、「明かに変」だから、追求しやすかったのだが、本来は、こうした「グレイな活動費使いきり議員」にもメスをマスコミは入れるべきであると思う。



しかし、野々村議員の辞職により、なんとなーく、沈静化してしまったのは、「いじめの論理」と一緒で「攻めやすい人を攻める」の発想であり、有力会派所属の議員を攻めるとマスコミは「情報をもらいにくくなる」が「野々村議員は無所属議員で影響ないから徹底に攻めても大丈夫」との判断もあった気がするわけで、なんだか残念な気がするのである。

(※ 自分を変える“気づき”ロジカル・シンキングのススメ メルマガ394号より)



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