2014年3月20日付の朝日新聞デジタルが、
『戦争や原爆の悲惨さを描いた漫画「はだしのゲン」を大阪府泉佐野市教委が1月、市立小中学校の図書室から回収し、子どもたちが今月19日まで読めない状態になっていたことがわかった。作品に「差別的表現が多い」として問題視した千代松大耕(ひろやす)市長(40)の要請を受け、中藤辰洋教育長が指示した』
という記事を掲載していました。
記事によると、(以下、引用)
◇市教委や校長らによると、昨年11月、中藤教育長が一部の小中学校に「市長が『ゲン』を問題視している。図書室から校長室に移して子どもらの目に触れないようにしてほしい」と口頭で要請
◇今年1月には、市立小中学校18校のうち、「ゲン」を所有する小学校8校、中学校5校に対し、市教委に漫画を持ってくるよう指示した。集めた作品は市教委が保管していた
◇松江市教委で「暴力描写が過激だ」として市立小中学校の図書室で閲覧を制限していた問題が昨年8月に発覚したのを受け、泉佐野市教委は各校に「ゲン」の所有状況を調査していた
◇千代松市長によると、市長自身も作品を読んだうえで、「きちがい」「乞食(こじき)」「ルンペン」などの言葉について、教育長に「問題が多い」と伝えた
◇千代松市長は取材に対し、「漫画の内容ではなく、差別的な表現が問題だと思った。泉佐野は市全体として人権教育に力を入れており、教委には、漫画を読んだ子への個別指導が必要ではないかと伝えた」と話した
◇泉佐野市立校長会は1月23日、「特定の価値観や思想に基づき、読むことさえできなくするのは子どもたちへの著しい人権侵害だ」として、回収指示の撤回と漫画の返却を求める要望書を教育長に提出していた
(引用、ここまで)
という。
まず、「はだしのゲン」で話題になる「差別用語」について考えてみる。
ウィキペディアによると、「差別用語」とは、
「他者の人格を個人的にも集団的にも傷つけ、蔑み、社会的に排除し、侮蔑・抹殺する暴力性を持つ言葉」
のことをいうそうで、具体的には、
「特定の属性(国籍、人種、少数民族
、被差別階級、性別
、宗教、同性愛
者、障害者
、特定疾患の罹患者、職業
など)」を持つ人々に対する否定的差別
を意図して使用される俗語
や表現を指し、侮蔑
するための蔑称
を含む」
と説明がされている。
「はだしのゲン」に出てくる「ルンペン」、「乞食」は、「職業や階級、身分」に関する差別用語であり、「きちがい」は、「障害者」に対する差別用語となる。
テレビの再放送で、元祖スポコンアニメの「巨人の星」が放送されることがあるが、主人公の星飛雄馬が「うちの父ちゃんは日本一の日雇い人夫だ」というセリフは、「建設作業員に対する差別用語」とされ、DVDでは「日本一の父 一徹」と変えられているという。
確かに、日常会話や報道や情報番組で「差別用語」を使うのは今の時代、言語道断であろう。
しかし、小説や映画など文芸作品においては、個人的には、表現の自由の観点とその場の臨場感を伝える意味において、過度な言い換えは不要だと思う。
例えば、小説や映画の喧嘩のシーンで「このドブスが!」とか「このポリ公!」「この木っ端役人
が!」を「このお顔立ちが優れていない方が!」とか「この警察官が!」、「このノンキャリ公務員が!」と言い換えたら、喧嘩のシーンが台なしであり、言葉狩りにすぎない。
また、学校の図書館にある本であればこそ、余計に「差別用語が含まれているから子供たちの前から隠す」のではなく「作品が描かれた当時の時代背景」や「現代社会ではどうして差別用語となるのか」を教育者は、目をそむけることなく、きっちり「教育」するべきなのだ。
特に、泉佐野など阪南地区は、部落など「差別」に敏感な地区である。
千代松市長が、「はだしのゲン」で使われている表現を気にする状況は理解できる。
しかし、だからこそ、「目に触れさせないように遠ざける」以外の対応をとって欲しかったな、と思うのである。
(※ 自分を変える“気づき”ロジカル・シンキングのススメ メルマガ377号より)
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