「現代のベートーベン」といわれ「全聾の作曲家」として有名になった「佐村河内守氏」とゴーストライターだったと名乗り出た桐朋学園大学非常勤講師の「新垣隆氏」の騒動から、「ゴーストライター」という存在について少し考えてみたい。
2014年2月7日付の産経新聞によるとクラシックの世界では、「ゴーストライター」のような話は、よくある話なのだという。
例えば、音楽の授業でも習う「バッハやモーツァルト」でも「本人が作曲したものと確証が取れていない“偽作疑惑”の曲が多くある」のだという。
日本人は特に、
◇作曲した作曲家のブランド
◇作曲された曲のストーリー性
に弱い。
「バッハ」の作品と聞けば、仮に「凡作」だったとしても「いい曲だ」と思う人が多いだろう。
また、今回の件で言えば「被ばく2世」「全聾」という佐村河内氏の境遇から「困難や苦労の中からつくられた名曲」と感じる人が多い。
つまり、佐村河内氏の場合は、おそらく、そういった日本人の特性をわかった上で、「キャラクター作り」をしてきたのであろう。
しかし、佐村河内氏は、今までの報道から、どうやら、譜面が書けない。
そこで、「譜面を書ける人」を雇ったのである。
「譜面が書けない」という意味で言えば、日本で活躍する多くのシンガーソングライターも書けない人は実は多い。
その場合は、コード譜だったり、口ずさむメロディを、譜面に誰かに書き落としてもらう(訳してもらう)のだ。
この場合は、「本人が作曲をしていない」、要は「ゴーストライターによる作曲」とは言わないだろう。
「共犯者」として記者会見を行った新垣氏によると、佐村河内氏の指示書は、「音の厚み」を表しているグラフ状の図形や「神、魔、受難、啓示」といった言葉で表現された「曲のイメージ」、「各楽章の流れ」、「全体のテーマや採用する技法」などが細かく描かれ、「後世に残る芸術的価値の追求」といった要望まで指示されています。
つまり、個人的には、佐村河内氏が「曲のコンセプト」を作り、新垣氏が「それを具現化した」共作であると思う。
だから、報道されているように「別人が作曲」とまでは言わなくてもいいと思う。
ちなみに、クラシック界では、大先生の名義で弟子が曲を書く(下請する)ことはよくあるそうだ。
交響曲の大作は、ひとりで書くのは難しく、弟子たちが総出で手伝うこともある。
この場合は、「ゴーストライターがいた」とはいわない。
したがって、佐村河内氏も「共作」という路線で世に出ても良かったのではないだろうか。
佐村河内氏の持って生まれた境遇から、「共作」であっても、十分にクローズアップされ、話題になったと思う。
新垣氏が「告白」するに至ったのは、フィギュアスケートでソチ五輪で金メダルを狙う高橋大輔選手が「バイオリンのためのソナチネ」を使用することが分かったからだとされている。
記者会見の新垣氏を見る限り、相当、真面目な性格の方だと思う。
しかし、これも私見であるが、「発表するタイミング」と「ゴーストとしてのプロ意識」という点で、ミスをしたと思う。
すくなくとも、このタイミングでの記者会見は、ソチでメダルを狙う高橋選手に余計な精神的な負担を掛けてしまった。
作曲の世界ではないが、芸能人が出版した本に代表されるように、著名になると、時間的な問題や能力の問題で本人名義でない「ゴーストライター」は存在する。
しかし、その場合の「ゴースト」は、プロとして告白することはない。
だから、新垣氏も「黒子」に徹して欲しかった気がする。
ただ、佐村河内氏のミスという点で考えると
◇「共作」という位置付けで新垣氏との関係をスタートさせなかった点
◇新垣氏との役割分担や契約を明確にしていなかった点
◇報酬の見直し
といった点については、失敗だったし、いつか、関係は破たんするバランス関係だったと思う。
佐村河内氏と新垣氏の「共作作品」は、この騒動になるまで、音楽のプロや評論家の間でも評価されていた。(手のひら返しの音楽評論家はプライドはないのだろうか)
破たんせずに、これからも、名コンビとして世間に曲を発表し続けていって欲しかったな、と思う。
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