「気づき」について、辞書で意味を調べると・・・
【それまで見落としていたことや問題点に気づくこと】
と定義されている。
「はてなキーワード」では、「コンサルティング用語のひとつ」と説明され、
(以下引用)
【人間が、自分や自分の会社を改善するためには、この気づきが必要とされている。
問題点に気づかないと反省も、対処もできないから。
問題点に気づくことによって、ものごとを見える化
する努力を始めたり、
品質や、生産性
や、組織の改善をしようとする原動力となる。
気づきが、なければ、進歩はない。
度胸と根性と行動力で進んでいる組織に、明日はない。】
と解説されていた。
つまり、「人間や組織は成長し続けていくもの」という前提に立てば、「気づき」がなければ、「見直ししたり、改善するべき事」がわからず、したがって「進歩が無く、成長しない」のである。
私の仕事は「コンサルティング」や「マネジメント監査」、「各種講演会、講習会」がメインであるが、クライアントに問題点や改善点を創出するお手伝い・・・つまり「気づきを自ら生みだすきっかけ作り」や「きっかけを生むための思考法」についてアドバイスしている。
したがって「気づき」について、いろいろと質問されることも多いのであるが、質問を色々と受けていると「多くの人の勘違い」に気づく。
代表的なのが「気づきは感性である」という考え方である。
一般的に「気づき→ヒラメキ→感性・感覚」と思っている人が殆どだ。
つまり「気づき」を向上させるためには「感性を研ぎ澄ますこと」と思っている。
しかし、結論からいえば、これは誤りである。
「気づき」は「論理的産物」なのである。
人は「気づき」を得た時に「突然ひらめいた」ような錯覚を覚える。
だから、「自分の潜在能力や感性にしたがうことが気づきを生む秘訣だ」
と思っている。
しかし、冷静に捉えると「気づき」は「帰納的」なのだ。
帰納的とは、たとえば、
Aさんの猫は、マタタビが好きだ
Bさんの猫も、マタタビが好きだ
→だから、猫は、マタタビが好きだ
というような「個別的な事柄から一般的な規則を見出そうとする方法」である。
「気づき」」とは、実はまさに「このような状況下で生まれる」のだ。
つまり、いろいろな事柄、事象を経験し、あるいは、見聞きすることで知見が増え、沸騰したところで、何かのきっかけで「気づき」が顕在意識として表に出てくるものなのだ。
したがって、わたしは「気づき発生確率を高める」ためには、「多様な価値観や情報を受け入れること」と「基本的な論理的思考(ロジカルシンキング)をマスターすること」であると考えている。
「気づき」は感性やセンスである、私はセンスが無いから「気づき」が生まれにくい、と思っている人は、まず、その発想を改めるべきだ。
あくまでも「気づきは論理的」である。
「日々気づきを得たい」と考えるのであるならば、「一見、無意味だと思われる情報を受入て、理解する力を向上させること」と「基本的なロジカル思考を理解すること」から始めてみるべきなのである。
(※ 自分を変える“気づき”ロジカル・シンキングのススメ メルマガ321号より)
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