先日、友人と「人のことを理解するのは難しい」という話題になった。

このテーマは、自分の中で比較的、常に考えている「テーマ」なんですが、頭の中を整理し、考えながらしゃべっていたので、個人的には面白かった。

以下、その時のやり取りを再現してみたい。

【私の会話】

親やきょうだいや親類でも「何を考えているのかわからない」のですから、人を理解するのは難しいですよね。
自分の常識や経験の範囲のみで相手のことばを理解しようとすると、たぶん、少しずれた理解をすることになりますしね。
もちろん、「理解が少しずれている方」が、それはそれで幸福なこともあるんですけど(笑)

【友人の会話】

人の理解には「ズレがあって当たり前」と思っていますが、そもそも、「もうこの人とはわかりあう努力をするのをやめよう」と、思っても良いでしょうか?
友人や家族であっても。

「期待を裏切られた」ではなく、「ダメとは思っていたけどそんなにもダメなのか!」という驚きでした。


【私の会話】

わたし自身は青臭いところがどこかであるので、「人間はいくつになっても、努力や工夫をし続けることが理想の姿じゃないか」と(一応)思っているので、「わかりあう努力」した方がいいと思います。
ただ、分かりあおうとする人と「24時間休みなく向き合うこと」はできないし、現実的な接する時間も限られているので、その人が持つ価値観や常識の「完全理解」は無理なのでしょう。
世界レベルで考えれば、中東問題を始め戦争や紛争のおおもとは、宗教や価値観の違いがわかりあえないからでしょう。
だから「わかりあえないものだ」ということを前提に「わかりあえる部分と無理な部分」を切り分け、「仕方がない」「この範囲で理解しあとは気にしないことにしよう」という割り切りが必要でしょうね。

それから話は少し逸れますが、

1)「理解できるし賛同できる」というケース

2)「理解できるけど賛同できない」というケース

3)「理解できけど賛同はする」というケース

4)「理解もできないし賛同もできない」というケース

があると思います。
私個人としては、少なくとも、「理解できる」というケースになれるように、「多様な価値観を理解し、相手の言っていることの理解(傾聴力)と自分のいいたいことの伝達力を向上させたい」と思い、常に目指しています。

しかし、「理解できない」というモードも現実的にはあると、考えないとなんでしょうね。
(※ 自分を変える“気づき”ロジカル・シンキングのススメ メルマガ303号より)


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