2013年5月7日付の毎日新聞が「裁判員経験者が制度の是非を問う初の裁判」について報じていました。


記事によると、(以下記事からの抜粋)


◇強盗殺人罪などに問われた被告に死刑を言い渡した裁判の裁判員を務めた60代の女性が2013年3月22日に「急性ストレス障害(ASD)」と医師に診断された

(※2013年3月に福島地裁郡山支部における裁判)


◇女性は毎日新聞の取材に、「新たな苦痛が伴う提訴にためらったが、(裁判員)制度が国民のためになっていないと思い決断した」と語った


◇女性は証拠調べで見せられた被害者2人の遺体の刺し傷計24カ所すべてのカラー写真などが頭から離れず、不眠症や吐き気、フラッシュバックなどに苦しむようになった


◇「裁判員メンタルヘルスサポート窓口」に電話し、地域の保健所を紹介されたが対応してもらえなかった


◇女性側は、裁判員になったためにASDになったと主張した


◇裁判員制度が苦役からの自由を保障した憲法18条や、個人の尊厳や職業選択の自由を認める憲法13、22条に反すると訴えた

(※法案提出から3ヶ月弱の審議で成立させた衆参両院にも過失があったと主張)


◇女性は、仙台地裁に、慰謝料など200万円の国家賠償を求める訴えを起こした

(記事の抜粋ここまで)


という。


裁判員制度は、2009年5月21日にスタートしたので、ほぼまる4年間が経過した。

このニュースを読んだ時に、「これで損害賠償が認められれば、全国各地で同様の裁判が発生するのでないか」、そして、「やはり裁判員制度は突貫工事での制度スタートだったのだ」、とあらためて実感した。


そもそも論であるが、女性が起こした訴状にもあるように、日本では「苦役からの自由」と「職業選択の自由」が保障されているはずだ。

しかし、裁判員制度は、裁判員として選ばれた場合は、原則的に「国民の義務」として「半ば強制的に国家により裁判員」という仕事を担わされる。


現状の裁判員制度では、「殺人罪,強盗致死傷罪,現住建造物等放火罪,身代金目的誘拐罪,危険運転致死罪凶悪犯罪」などの重大犯罪が対象となっている。

しかし、このような重大犯罪では、事件の証拠写真など「仕事に対してプロ意識を持たない一般の市民が半ば強制的に凄惨な罪状証拠を確認させられる」ケースにもなり得るのだ。


「仕事のプロ」とは、「一般人が嫌がることも仕事とあらば耐える覚悟を持って取組む」ことが求められ、それができるから「プロ」なのだ。

しかし、裁判員の場合は、「裁判に市民感覚や市民目線を入れるため」に「そんな仕事は基本的に嫌だ」という「アマチュア」にも強いる制度なのだ。


今さらであるが、「裁判に市民感覚や市民目線を入れる」という理念であれば、まずは「重大犯罪」ではなく「痴漢や窃盗、詐欺」といった比較的軽いと言われる犯罪で、裁判員制度をスタートさせなかったのだろう?と思う。

むしろ、このような犯罪の方が「職業裁判官にはない市民感覚が活かされる」のではないかと思う。

今一度「裁判員制度が果たすべき役割」を国はもちろん、私たちも振り返り、改善する時期に来ていると言えるのであろう。
(※ 自分を変える“気づき”ロジカル・シンキングのススメ メルマガ332号より)


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