「会社の経営の仕組みを監査する仕事」・・・いわゆる「マネジメントシステム監査」であるが、なかなかこの仕事は、一般的には正しく理解されていないことが、まだまだ多い。


一般的に「監査や審査」、「検査」など「会社に立ち入って調査する類(たぐい)のもの」は「取締型的チェック」であることが多い。

つまり、監査や検査のよりどころとなる法律や規格、基準に対して「監査や検査に入った以前の結果は問題ありませんでした」という『過去に対する保証』という意味合いを持ったお墨付きである。


したがって、監査される側は「問題点を見つけられたくない」という防御反応が働き、監査する側は「あとあと問題が出た時に問題を見つけられなかった責任を問われたくない」という捜査型の行動が働く。

この「防御反応と捜査的視点」が、「監査」をピリピリしたものにさせ、日本人の感覚として「監査=できればあまり経験したくないもの」という条件反射に繋がっているのではないかと思う。


一方、「マネジメントシステム監査」の場合は、これから取引をする、あるいは、その企業と地域社会の中で共生していく上で「製品/サービスそのものを生み出す体制や事業活動を実施する上で必要となる環境管理や情報管理を含めた会社の業務管理体制がしっかりしており、安心してお付き合いをすることができる体制にあるか」という『将来に対する保証』という意味合いを持っているお墨付きである。


したがって、監査の性質は、取締型ではなく「診断分析型」。

つまり、「もっと効果的な業務運営ができる余地」や「リスクの可能性」を監査される側に対して監査する側がインタビューし、診断分析する性質のものである。

そのため、取締型の監査のように「被監査側と監査側が対峙した関係」になると監査を通じた価値は何も生まれない。


しかし、一般的には「監査=できればあまり経験したくないもの」という条件反射になってしまっているのが現状なので、多くの場合は「監査を通じて生まれるはずの価値」は半減しているのが実情である。


このように考えていくと、「良い審査員」の要素として大きいものは、

◆的確に相手に自分の考え方を伝える力

◆的確に相手の立場と状況、業務の実態を把握して、配慮した聞き取り調査する力

であるだろう。

つまり、いくら「個人的能力としてその分野の知識や経験に長けていた」としても、上記の2つの能力が劣るのであれば、「マネジメントシステム監査を通じて生みだされるはずの価値」が生まれることはない。


一時、「マネジメントシステム監査によるお墨付き(認証)を取得している企業の不祥事」が話題になったことがある。

その時以来、「実態を隠そうとする企業に対抗できる知識や経験を有した監査員を監査に派遣すること(=いわゆる監査員の専門性重視)」が最も優先されてきた。

そのため、「本来、マネジメントシステム監査を通じて、被監査側と被監査側と取引する可能性のある顧客やその他利害関係者が受益するはずの価値」が損なわれたものになっている制度と化している部分があることも否めない。


「マネジメントシステム監査が有する特性と価値」について、私たち業界関係者が、もっと世の中に対して、有効的な活用を伝えていかなければならないのかもしれない。

(※ 自分を変える“気づき”ロジカル・シンキングのススメ メルマガ228号より)


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