2013年3月17日付の朝日新聞デジタルが「司法試験3000人枠撤廃へ 需要伸びず「非現実的」」という見出しの記事を掲載していた。
記事によると(以下、記事の概要)、
◇政府の「法曹養成制度検討会議」が弁護士ら法律家の数や法科大学院のあり方について見直しを議論している
◇「検討会議」では、司法試験の合格者数を「年間3000人程度」とした2002年の政府計画の撤廃を提言する
(4月に公表する中間素案に盛り込む方向)
◇法曹3000人計画は2001年に公表された司法制度改革審議会の意見書に基づいている
◇「意見書」では2010年ごろに達成する目標として閣議決定した
◇しかし新司法試験の合格者は年2000人前後で低迷している
◇「社会の隅々に法律家を」という理念のもとで進められた司法制度改革の大きな柱が見直されることになる
ということらしい。
あら~、やっぱり、言わんこっちゃない。
「社会の隅々に法律家を」という理念はよかったと思うが、日本の場合、日本人同士の生活やビジネスにおいては、欧米のような訴訟社会ではない。
よく言われる話であるが、欧米の場合は、価値観が違い、素性がわからない、どこの馬の骨ともわからない人と日常生活を送るわけだから、「契約社会」になる。
「契約(書)に基づく明確な決まりごと」を設けるからこそ、余計に双方で「話が違う」となれば「訴訟に発展」という文化なのだ。
しかし、日本の場合は、相手の素性をある程度知った上での「曖昧さのある決めごと」でものごとは進む。
仮に、その後「話が違うなぁ」と感じるところがあっても、ベースとしてある程度の信頼関係が成り立っているから、「まっ、いいか」とか「相手との今後の人間関係もあるから、今回の件はこちらが譲歩し、別件で相手に譲歩してもらおう」という「結果的には阿吽の呼吸の示談」が成立して、法律家が介在しないのだ。
また、「社会の隅々に法律家を」といっても、日常的に私たちが必要な「法律」は、債権処理であったり、不動産や法人登記であったり、許認可や届出が必要な各行政手続きであり、この範疇なら、司法書士や行政書士で十分である。
「結果論から評論するなよな」とおっしゃられる方もいると思う(汗)ので、私の過去のブログを少し振り返ってみると、今の状況を2006年当時から「司法制度改革で懸念される点」を予測はしていたようである。
≪参考ブログ≫
◇新司法制度は多様なバックグラウンドを有する法曹界作りになるのか(2006.5.17)
http://blog.logcom.jp/?eid=354134
◇新司法制度が目的通りに機能するためにプロセスの見直しが必要(2008.5.21)
http://blog.logcom.jp/?eid=646763
◇法曹増員計画の効果を監視すべき指標(2008.7.20)
http://blog.logcom.jp/?eid=660475
◇花形職業合格者の危機とセーフティネット(2010.11.18)
http://blog.logcom.jp/?eid=863700
◇7年目に入った新司法試験制度(2012.6.15)
http://blog.logcom.jp/?eid=865249
それにしても、「司法試験3000人枠撤廃」となると、各法科大学院関係者や新司法制度により多額の借金をして法科大学院を修了した方、あるいは在学中の学生にとっては、大きくビジネスや人生を振りまわされた訳で「勘弁してくださいよ~」と言う話である。
なぜ、「2002年の政府計画がうまくいかなかったのか」また、「理念を実現するためには何が必要だったのか」をきちんと総括して欲しいと思う。
(※ 自分を変える“気づき”ロジカル・シンキングのススメ メルマガ325号より)
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