2012年12月16日が投票日となる総選挙に向けて、各政党が続々とマニフェストを発表している。
ここ10年ぐらいの間に「政権公約=マニフェスト」として、国民の間に定着した「マニフェスト」という用語であったが、今回は、
◇マニフェスト
◇公約
◇約束
というように、各党で表現が分かれている。
「公約や約束」と言い換えをした政党は、おそらく、ここのところ「衆参院のねじれ」もあるせいか、「マニフェスト」=「実行されないもの」「理想論を並べたてるもので守られないもの」というイメージが国民の間に染み付いてしまい「公約」や「約束」と昔からある「日本語」に戻したというのが真相なのだろうか。
それにしても、民主党が発表したマニフェストの評判が悪い。
政策自体の賛否や良し悪しは、このコラムでは述べないが、前回総選挙時と民主党のマニフェストの中身が大きく違うのは、
◇数値目標がない
◇工程が具体的に明示されていない
ことである。
書かれている表現も「目指す」「取組む」「進める」という表現が多く、あまりにもあいまい。
ニュースで、この辺について記者から突っ込まれた野田首相は「明確に数値目標や日程を示すとそれに縛られ身動きができなくなる」と説明していた。
しかし、この説明に「なるほどね」と納得した国民はどれほどいるのだろう、と思う。
「趣味の世界」であれば、例えば、
◇いつかは富士山に登りたいので努力していきたい
◇そのうち、フルマラソンを歩かずに完走したい
◇悠々自適な生活がおくれるようになったら、全国を旅したい
といった「希望」や「夢・志」を示し、具体的な計画はせずともいいだろう。
しかし、政治において「あいまいなマニフェスト」つまり「努力目標」を示されても、何の説得力もない。
ビジネスの世界でいえば、具体的な「今年度目標」「中期目標」「目標達成のための施策」を示さなければ株主からそっぽを向かれ、役員はクビである。
政治家を少しかばえば、確かに、政権公約を実行するためには法案の成立をはじめ、するべき事が多く、「政権を奪取した政党だけですべてのことが決まる訳ではない」し「衆参のねじれ」もあるのだから、「マニフェストの数値目標や工程が全てオンタイムで運び、達成すること」は難しいだろう。
しかし、国民は「そんなレベルの言葉尻的な部分」で「選挙前に示した公約違反だ!」とは言わない。
むしろ、「マニフェストで示した内容が未達成」の場合、「国民が納得いく実行できなかった原因と今後への反省、そして謝罪」をしてくれれば、少なくとも理解はするはずである。
しかし、現在の民主党は、2009年選挙で掲げたマニフェストと真逆の政策を堂々と「詭弁」を使って実行しようとしている。
これでは「ウソツキ」呼ばわりされても仕方がない。
「マニフェスト通りに実施できないと言い訳できないからあいまいな表現にする」は、おかしい。
達成できなければ、きちんと説明する仕組みを作れって説明すればいいのであり、それが「国民に対する政治家が果たすべき説明責任」であるはずだ。
それにもかかわらず、「明確に数値目標や工程を明示すると(マニフェストに)しばられて身動きが取れない」とは「詭弁」である。
「努力目標」というものほど「あいまいで責任をとらなくていい言い訳ができるもの」はない。
政治家という人物は、もう少し「マネジメントの原則」が分かっている集団かと思っていたが、単に「詭弁」を「もっともらしく演説できる人」であるにすぎない。
国民は、来たる総選挙において、「明確に約束を掲げ、達成できなければきちんと総括し、謝罪できる人や政党」を選ばなければ、ならない、とあらためて思う。
(※ 自分を変える“気づき”ロジカル・シンキングのススメ メルマガ309号より)
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