2012年11月6日、アメリカの次期大統領が事実上決まった。
オバマ大統領の再選である。
接戦が伝えられていただけに、ニュース速報を見ていた時は、「あっさり感」があった。
イメージ的には、2000年の大統領選の「ブッシュテキサス州知事(当時)VSゴア副大統領(当時)」のように、後々、裁判にもなった大接戦になると思ったからだ。
しかし、結果的に、一般投票の結果、獲得した選挙人の数は、オバマ候補が303人、ロムニー候補が206人(注:米東部時間7日午前9時30分、日本時間同日午後11時30分時点。全米総数では538人)と大差がついた。
これを得票率で捉えると、オバマ候補が50%、ロムニー候補が48%とやはり「僅差」だったのだ。
だから、選挙人獲得数の印象で感じるような「オバマ大統領の大勝利」ではなかったのだ。
この辺のくだりについては、「高校生の社会の教科書」レベルの話なので、知っている人には当たり前の話であるが、アメリカの大統領選出は、国民が選挙人を選ぶ「一般投票」があるから「直接」大統領を選んでいるように見えるが、一応「間接選挙」である。
高校生の頃に社会科の先生から、アメリカ大統領選挙の話を聞いた時に不思議だったのは「選挙人は自分の自由意思で投票できないの??」と思っていた。
つまり、選挙人が「自分の州で得票数が多かったのはA候補だけど、私はB候補を支持するからB候補に入れます」というある種の「裏切り」はできないのか、と思ったのだ。
しかし、どうも、各州の州法などで「得票数が多かった候補者に選挙人は投票すること」と誓約書などで一筆を取らされているらしい。
このような「得票数が多かった候補者がその州の選挙人を総取り」する選挙システムだから、全米全体の得票数よりも、いわゆる「激戦区」や「選挙人の数が多い区」に選挙資源を集中させて制した候補者が、結果的に勝利することになる。
報道では、「激戦区と言われた9区」のうちオバマ候補は8区を制したと言われ、その結果が、実際の得票率よりも大差がついた選挙人の獲得数となったのだろう。
それにしても、日本からアメリカを見ていると、ここ数ヶ月ほど続いたアメリカ大統領選は、ある種の「お祭りだな」と思う。
これは悪い意味で言っているのではなく、アメリカ国民全体が「経済対策は」「福祉対策は」「軍事戦略は」・・・、というように両候補の主張や発言に耳を傾け、吟味することになる。
また、候補者自身も、細かい自身の支持層分析結果に基づき、「若い層が政治に期待していることは」「女性が支持してくれるためには何か足りないのか」などを『国民の真のニーズを理解し、対応する政策を掲げる』ことになる。
そして、全米の多くが見る両候補の3度のテレビ討論会。
討論会のたびに、どちらの候補者が魅力的だったのかをマスメディアに検証され、立ち居振る舞いを含めて、候補者はどんどん磨かれる。
日本の場合も、総理大臣になるような方は、公の場に登場する機会は、総理になる過程でも、それなりに積んではいるだろう。
しかし、アメリカ大統領を選ぶプロセスの中でチェックされる「主張、発言、話し方、立ち居振る舞い、家族関係、性格を含めた人格、ファッションセンス、思想・信条・・・」といった点について、総理大臣になる過程で「経験してきたのか?」と言えば、微妙である。
このような修羅場をくぐるからこそ、アメリカの大統領は少なくとも、国際会議などの場に出ても「威風堂々」とした態度と雰囲気を醸し出すことができるのだろう。
政策云々の議論は省くが、そういう意味では、橋下大阪市長は、まさに「マスメディアにさらされ続けてきたこと」でそういう点についてはかなり磨かれた。
大阪府知事時代の四面楚歌状態で、市町村会に出席した時の「泣き虫知事」の印象はもうない。
そういう意味では、日本の政治のトップも「公選制」にして、国民の目にさらされる期間を増やして選抜した方が、「国民が信頼できるトップらしい立ち居振る舞い」ができる人物を選ぶことができるのかもしれない。
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