2012年9月20日付の時事通信によると、「文化庁の国語に関する調査」で「にやける」「割愛」の意味を正しく理解していた人は1割台にとどまっていることが報じられていました。
正直、記事を読んで「あらためて振り返ると、わたしもかなり誤用している」と思いました。
「にやける」は「なよなよしている」の意味ですが、「薄笑いを浮かべる」の意味で使っていました。
「割愛する」は「惜しいものを手放す」の意味で、多くの人は「不要なものを捨てる」の意味として使っているそうです。
ちなみに、わたしは「残念だけど省かせていただきます」の意味で使っていました。
(70点ぐらいでしょうか)
その他にも「失笑」は「思わず笑い出す、おかしくて噴き出す」の意味ですが、「バカにして笑う(冷笑)」の意味で使われるケースが多いですし、「うがった見方」も「物事の本質をうまく的確に言い表す」の意味ですが「偏った見方」として使うケースが多いと思います。
文化庁国語課によると「言葉は変わっていくので、全て誤用と言い切れない」コメントしている。
つまり、「言葉は、時代とともに意味や使われ方も変化するもの」と寛容に捉えれば、目くじらをたてることではないかもしれない。
しかし、
◇正しい(とされる)日本語を使った文章(文学作品)を読む
◇何気なく使用している言葉の意味をたまには振り返って調べてみる
といった努力も心掛けないと「悪気はないのに相手に間違った気持ちを伝える」ことにもなりかねないよな、と思う。
あくまでも私見であるが、わたしは「日常的なことば」は「相手の年齢、性別、出身地域、知的レベル、育ってきた環境、慣習」といったものに合わせて、つまり「ローカライズ」させて使えばいいと思っている。
要は、言葉の使い方とは「ちゃんと伝えたい相手に意図が伝わること」を優先させるものだと思うのです。
したがって、例えば、若者と話をする時は「全然オッケー」(間違った使い方)といった言葉の使い方をしますが、仕事で知識水準も高い年長者と話す時は「全然+否定文」(本来の使い方)で話します。
ただ、ここ最近、私も使っていますが、違和感がある言葉が「お楽しみさまでした」だ。
使用例としては、例えば、昨晩パーティがあって参加した人に翌日の会話として「昨晩のパーティはお楽しみさまでした」と使う。
従来であれば、
◇昨晩のパーティ、お疲れさまでした
◇昨晩のパーティ、ご苦労様でした
◇昨晩のパーティ、ご足労さまでした
などと会話するのが一般的だろう。
この従来の使い方の本質は「遠くから足を運んでいただきすみません」「忙しい中、時間を割いていただきありがとうございます」「いろんな人に気を使って大変でしたね」といった『あなたのことを思いやっていますよ(ねぎらっていますよ)』を表現した言い方だ。
しかし「お楽しみさまでした」は従来の使い方である「相手を思いやる」という原則にしたがうと「楽しんだ人をねぎらう必要はない」ので、ヘンなのです。
だったらシンプルに「昨晩のパーティは楽しかったですね」と表現すればいいのだ・・・なーんて思うんですよね(笑)
でも、「ことばは相手とのコミュニケーションの手段である」と考えれば、「仲間内で伝わりやすい表現」を私は優先したいので、「お楽しみさまでした」は、違和感を抱きつつも、使っちゃうんですけどね。
(※ 自分を変える“気づき”ロジカル・シンキングのススメ メルマガ299号より)
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