私が以前に在職していた経営コンサルティング会社の先輩(Mさん)がある掲示板で「プロ」についての問いかけをしていて、興味深い議論がされていたので、一部を紹介してみたい。
(以下、一部を編集して掲示板の議論より引用 (掲示板での私のコメントを含む))
『自分の仕事において「プロ」であるべきと考えて判断・行動していますか?
仕事を通じて給料をもらっているからには、「プロ」ですし、特にお客様からみて、「プロ」でなければならないんです。
でも、自分の仕事において、本気で「プロとは?」を考えると意外に深いものです。
例えば、お客様の要望すべてを実現するのは、決して「プロ」だとは思いません。』
(中略)
『この議論の発端は「高級自家用車」を販売する営業マンの話であったと理解しています
その営業マンもある意味「その道のプロ」なのかもしれない。
その営業マンはその勧め方をプロと思ってやっているのかもしれない。
でも、Mさん(注:この議論の発信者)はそれを認めない。』
『私(Mさん)は、その営業マンをプロと認めていないのは、高齢者の運転に対する危険の説明や、気遣いもなく、自分の営業成績だけを考えているように思えるからです。
・・・(中略)・・・そして、私の主張はこんな感じだと整理できました。
自分のやっている仕事を「良くする」とか「頑張る」のは、どのようなこと(方向)なのかをとことん考えているか?ということです。
事例の営業マンの場合、「売上を上げること」といった自分主体で考えている。
私は、「お客様に車の素晴らしさを伝える」といったお客様のことを考えべきだと思っている。
そして、仕事のことをとことん考えれば、「お客様主体」の指向になるはずだというのが私の主張です。 』
『「プロ」にお客そっちのけで売り上げに固執することが可能かどうか、Mさんは、それはありえないというお立場ですから自動的に相手はプロ失格になります。
しかし、「それもありうるかもしれない」という立場ではプロでもそういう人はいるということになります。(後略)』
『お客様そっちのけのプロは、確かに多いですね。
しかしそれは単なる趣味だと思います。ホリエモンや村上ファンドなどは「みんな利益の為のプロ」だと思います。』
(中略)
『私が大切だと思っていることは、「自分たちが行っている仕事の価値の追求」です。
自分の行っている仕事が、世の中の「誰に」、「どんな風に役立つのか、役立っているのか」・・・をとことん追求(考え・実践すること)が大切だと考えているという訳です。
人事評価上の指標(営業だと売上・・・)を上げることに注力すると、私が大切だと思っている「価値の追求」をしなくなってしまうということだと思うんです。 』
『途中から議論に参加してトンチンカンだったらすみません(汗) Mさんのおっしゃられる「誰に、どんな風に役立っているか?」という観点が重要で、「プロ」は「提供する製品あるいはサービスの価値や付加価値は何か?」を常に意識して追求しなければダメな気がします。
例えば、損害保険の営業マンでいえば「顧客に対して的確かつ適切・タイムリーな情報提供が最大のサービス」という認識に立たなければ「契約を取ること」のみに腐心した業務活動になります。
しかし、保険サービスの本質は「火災や事故、障害を予防することであって、万が一のリスクヘッジとして補償がある」と捉えれば、顧客にとって頭の痛い助言や情報提供をする場面も当然あるわけで、顧客に「どう伝えていくか」をとことん追及しなければ「損保のプロ」とは言えないと思います。 』
『なるほど。
「飲み屋さん」に例えれば、「カリスマホステス」と言われる月に何百万も売上がある「お水のプロ」はたくさんいます。
しかし、「単にものすごい額の売り上げを出している」から「プロ」なのかと言えばなんだか違う気がします。
「仕事の価値」を「お客様のストレス発散や癒しの提供」「お客様のフトコロ事情に見合った遊び方のサポート」と捉えるなら、それらを考慮した接客ができるホステスさんが「優れたプロ」なのかもしれません』
(その後の議論は後略)
(掲示板の議論に基づく引用(一部編集)ここまで)
この掲示板の「プロ」の議論が面白かったのは、
◇お客様の立場を第一義にした「仕事の価値の追求」をする「プロ」
◇人間やお客様以外の何か(例:利益の最大化)を第一義にする「プロ」
を区分けして議論しないと意見が噛み合わなかったことです。
つまり、一般的に、人は自分の勝手な解釈で「言葉」を理解します。
日常会話やコミュニケーションでは、違った解釈のままでも、あまり影響がないのですが、掲示板を通じた議論は、読み返すこともできるので、「テーマに取り上げられた言葉について一致した解釈」をして議論をスタートすることが重要だとわかりました。
それにしても、「言葉」を文字にして議論すると、「頭の整理ができて気づきが生まれる」ことに気づいた出来事でした。
(※ 自分を変える“気づき”ロジカル・シンキングのススメ メルマガ253号より)