2012827日に、丹羽宇一郎駐中国大使の乗った公用車が中国人とみられる男に襲われ、車両前方に掲げた日の丸が奪い去られるという事件が発生した。

828日付の時事通信の報道によると、

◇渋滞中の北京市内の環状道路で高級外国乗用車2台が前方に割り込み突然止まった

◇丹羽大使の乗った車も停車を余儀なくされた

◇乗用車の1台から30代くらいの男が降り、日の丸を奪って立ち去った

◇大使館側は2台のナンバーを控え、写真を撮影し、北京市公安局に提出している

という。

つまり、明かに「丹羽大使を偶然見かけて出会いがしらの襲撃」ではなく、計画的な犯行であろう。

この「計画的な丹羽大使の車襲撃」の犯行を招くことになったのは、時節柄、どう考えても「中国国民の間で日に日に高まっている尖閣諸島問題を受けての反日感情」であろう。

中国では、この「事件」に対して、インターネット上では「英雄視」されており、「愛国無罪」の風潮も根強いという。

中国も一応、法治国家ではあるが、「共産党への忠誠心・国威掲揚」を第一に考える国であり、「英雄」扱いされている容疑者を摘発すれば、政府への反発が高まる懸念や反日感情がさらに強まる恐れもあり、「容疑者が特定」されても、法に基づく厳正な処罰がなされるのかは、微妙であろう。

それにしても、丹羽大使も、伊藤忠商事の社長時代は「名経営者」として名をはせたが、「脱官僚依存」として戦後初の民間人として中国大使になってからは、不運というか、目立った活躍と実績も残せぬまま、退任が決まってしまった。

日本の中国外交方針「中国通で暗黙のルールに精通しそれを守る」ことらしい。

要は「お互いに触れてはいけないものは触れ合わない(刺激し合わない)」という作戦だ。

だから、石原都知事のような「パンドラの箱」を開けるような「尖閣諸島の東京都の購入」は日本政府・中国政府の双方にとって「煙たい」話である。

ただ、わたしには、「触れないでそっとしておこう」作戦は、日本の将来にとって必ずしも明るくないと思う。

したがって、個人的には、丹羽大使には、政府の意向とは別に、独自に商社マン時代の人脈で「どんどん影響力のある民間外交」をして欲しかったと思う。

また、現状のままでいると、本当に尖閣諸島は、中国国家全体で「中国のもの」と強行に言いだすに違いない。

次元の違う話であるが、中国に仕事で行った時に、日本の感覚と同じように「自分のバッグを置いたまま」お土産を買いに出かけた。

戻ってくると、知らないおじさんが「私のカバンを持ち去ろうとしている」ではないか。

私が(日本語で)「俺のバックだ!返せ!!」と叫ぶと、「お前のだっていう証拠はあるのか?」(中国語だけどなんとなくわかる)と居直ってきた時はびっくりした。

日本のコソ泥なら、こちらが叫んだ瞬間に「逃げ去る」はずだ。

このエピソードは、尖閣諸島問題と同じだと思う。

つまり「自分のバックを少し置いておいたって、誰かが持ち去ることはしないだろう」と考えるのが日本人。

しかし、中国人など海外では「名前の書いてない置いてあるバックであれば実効支配してしまえは俺のバックである」と考えそう信じて疑わないが中国人であり世界標準なのだ。

「触れないでおこう」作戦は「見識ある人なら本当の事実を知っているはずだから不当な判断はしないであろう」という甘い考えである。

しかし「本当の事実」なんて、時代とともに、消し去られていくものなのだ。


国境線に関して海上保安庁はもちろん配備されているが、尖閣諸島をはじめ、竹島など、国の防衛や警察施設を常駐させて来なかったことが今考えると「甘い考え」だったのであろう。