仕事で「企業のマネジメントシステム監査」の仕事をしている。
辞書で「監査」を調べると、
◇監査し検査すること
◇特に、法人の財産や業務執行の監査のこと(会計監査、業務監査)
と書かれている。
一般的には、やはり「会計監査」や「業務監査」が『監査』としては馴染みが深い。
これらの一般的に馴染みが深い監査は「取り締まり型」である。
「取り締まり型」とは、「ある時期から監査をした時点までが適正か否かのチェック」である。
つまり、「過去の保証」である。
一方、「マネジメントシステム監査」の場合は「診断分析型」である。
「診断分析型」とは、「仕事のやり方が適切か否かのチェック」である。
つまり、今後、業務活動を行っていく上で、適切な仕組みなのかをうらなう「未来の保証」である。
もちろん、マネジメントシステム監査でも「過去の実績」はチェックする。
ただ、それは、「自分達で規定した仕組みを理解して運用し、効果的に機能しているかどうかの事例」として確認することが目的で、「過去の仕事が全て適切に実施されていたことを保証」するものではない。
だから、マネジメントシステム監査の場合は、
『もし、このようなケースが生じた場合は、どのような手順で仕事を実施しますか?』
といった「もし・・・だったら」という質問が結構ある。
質問された当事者が、仕事の中で、「常にそういった事態も想定して仕事をしている場合」はすぐに回答できる。
しかし、「質問されたようなことはまったく考えてもみなかった」という場合は、監査員の質問を通じて、今後の業務活動への気づきを得る機会が生じる。
つまり、マネジメントシステム監査の場合は「想定していなかったことへの気づきとその備えの機会を得る」ことが最大の価値ではないかと私は思う。
ただ、マネジメントシステムの監査員としては、監査をした会社について、「その会社の仕事の仕組みについて懸念される点」を指摘した場合、「果たして。この指摘は有効だったのだろうか?それとも単なる杞憂だったのだろうか?」と思うことがある。
その後、その会社に「仕事の仕組みが原因である大きな業務上の問題点が生じていない」のであれば、「きっと監査は有効で、かつ、指摘したことも仕組みの見直し材料として役立ててくれているのだろう」と(勝手に)自己評価することはできるが、本当にそうかと言われれば自信はない。
先日、ニュースで京都の撮影所の火災が発生した。
報道によると、「出火直前にスタジオ横の変電室で漏電を知らせるアラームが鳴っていた」という。
このニュースを聞いた時に「あっ、やっぱり」と正直感じたのだ。
それは、数年前であるが、この撮影所のメンテナンスの委託を受けている会社の監査で撮影所を訪問したことがあるからだ。
その時の印象では、「撮影所にはセットなど可燃物が多く(しかもかなり雑然と整理されずに放置されている)、設備が古いことから漏電の恐れ」を感じ、「火災発生のリスク」を指摘していたのだ。
指摘についてその後、検討・対応したのか否かはわからない。
マネジメントシステム監査の場合は「未来の“もしも”をうらなった上での指摘」なので、「なるほど、それはリスクだ」と感じれば対応してくれるだろうし、「それは、滅多に起きない事だから、今のままでも良い」と考えれば、何もしないのが現実だ。
でも、今回の「火災の発生」を通じて、感覚的に「億が1」や「兆が1」のような極めてまれなケースはともかく「万が1(まんがいち)」の懸念材料はこれからもどんどん伝えていくべきだよな、とあらためて感じた次第である。
(※ 自分を変える“気づき”ロジカル・シンキングのススメ メルマガ282号より)