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「親孝行したいときには親はなし」ということわざがある。
「親はまだまだ元気」と思っていても、あっという間に親は歳を取る。
親が逝ってしまった社会人の諸先輩方のお話を聞いて、想像すると、親が亡くなった時は、まさに、この言葉が当てはまる状況のようだ。
話しは変わるが、小学校から大学に掛けてお世話になった「恩師」と年賀状のやり取りをしていると、幸い、私と深いつながりのある先生方は、多くの皆さんがご存命である。
しかし、90歳近い先生も多数おり、「親孝行」ならぬ『先生孝行』しないままに「さようなら」というケースが今後、増えそうである。
特に、すぐにそのような状況になるのは、大学の先生である。
小学校~高校までは、私の場合、担任の先生が当時の年齢では、比較的若く、例えば小学校卒業から30年以上経過しても、まだ定年前の先生方も多い。
しかし、大学の場合は、教員になられる年齢が、比較的高い。
博士号を取得されて、すぐに教職に就いても、30歳を超えており、通常「脂の乗っている先生」の多くは、40代~50代の先生である。
したがって、卒業から20年も経過すると大学に遊びに行っても、顔見知りの先生は殆どいなくなっている。
そんな風に、ここ数年、常々思っていたところ、3年前に大学を定年退職した恩師から「ニセコでスキーをしたい」との連絡があった。
この「恩師」は研究室の恩師ではなく「クラブ活動の恩師」である
大学の体育系クラブ活動というのは野球やサッカーのように黙って
そこで卒業する時に、まだ40代と比較的若かった「恩師」に顧問就任を懇願し、併せて、恩師自身にもその競技を勧め(最近ではシニアの部で世界選手権日本代表になっている)、挙句の果ては、その競技を統括する日本の競技団体の役員にも強引に送り込んだ。
そこで卒業する時に、まだ40代と比較的若かった「恩師」に顧問就任を懇願し、併せて、恩師自身にもその競技を勧め(最近ではシニアの部で世界選手権日本代表になっている)、挙句の果ては、その競技を統括する日本の競技団体の役員にも強引に送り込んだ。
つまり、「クラブ指導に熱心な先生」がいれば、学生がダメ(使えない)でもなんとかクラブ活動が存続するような仕組みを作ったのだ。
そのような「恩師」であるから、どちらかというと、在学中より、卒業後のクラブ活動に関してお世話になりまくってきた先生である。
仕事が忙しくても、罪滅ぼしを兼ねて(汗)、時間を作るのは当然だ。つまり、「クラブ指導に熱心な先生」がいれば、学生がダメ(使えない)でもなんとかクラブ活動が存続するような仕組みを作ったのだ。
私ひとりだと、先生も退屈されるだろうと思い、北海道在住で、札幌で仕事をしている先生とゆかりのある大学の後輩を誘いニセコでスキーをしてきました。
先生にとって「ニセコ」は新婚旅行で来た思い出の地だそうで、訪問するのもその時以来だという。
また、その後輩は、卒業から15年ほど経つが、先生と会うのは「卒業以来」だそうだ。
そんな「感慨深いハズのニセコ企画」でしたが「蝦夷富士」こと羊蹄山もニセコアンヌプリもそのお姿を拝ませてくれることはなかった現地の天候でした。
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