【よかったらメルマガ読者登録お願いします♪】
(パソコンでアクセスしている方)
http://www.mag2.com/m/0000218071.html

(携帯でアクセスしている方)
http://mobile.mag2.com/mm/0000218071.html


20111121日に落語家の立川談志さんが咽頭がんで亡くなった。

葬儀は、1123日に密葬で行われたという。


若い人は、「立川談志って誰?」と感じると思うが、若い頃は、現在は長寿人気番組となった「笑点」の司会をされていたり、落語協会を脱退されたり、弟子による上納金システムを公表して話題になったり、参議院議員になられたり・・・とマスメディアを常に賑わしてきた方だ。


立川談志さんの息子さんと娘さんが開いた記者会見によると、今回の死因となった咽頭がんは、3年前になり、その時は早期発見で治ったが、201011月に再発したという。

担当医師は「声帯を取って欲しい」と言われたが、談志さんは、「しゃべる仕事をしているプライド」から摘出手術を拒否して、表面のガンだけを取り除いたのだと言う。

そして、20113月まで高座に立ち続けたそうだ。

20113月下旬に気管切開手術を受けると声が出なくなり、「しゃべれるのか、声は出るのか?」と筆談で家族に訴えていたと言うから、噺家として「しゃべれないこと」が一番、辛いことだったのだろう。


それにしても、立川談志さんのような「天才肌」の人は、組織には馴染まないんだろうな、と思う。

落語協会の脱退もそうであるが、参議院議員に当選した時も、当選後、自由民主党に入党し、沖縄開発庁の政務次官になった。

しかし、二日酔いでの記者会見、その弁明の場のはずであった決算委員会を寄席により欠席するなどして、政務次官を辞任することになった。


亡くなった方には申し訳ないが、今になって振り返ってみると、「歯に衣着せぬ物言いと態度」に当時のマスメディアが乗って、テレビの世界で人気者となり、政治家にもなった。本人は意識していたかどうかはわからないが、談志さんの「言動や態度」にテレビメディアが上手く乗っかり、名をはせて来た訳で、実力以上に「風雲児」とか「天才」ともてはやされた気もする。

つまり本当に「天才で風雲児」だったのだろうか?と思う。

また、政治に関しても、基本的に特段の「政治信条」は持ち合せていなかったんだろうな、と思う。

だから、「雑巾がけという下積みから始めて、組織の中で子分を作り、のし上がっていく政治家」という職業において、自民党という大政党に入ってしまっては「一匹オオカミ」的に自由な言動でのし上がってきた談志さんにとっては、「成功する」ことはそもそもなかったのだ。


戒名は、自分で決めていたという。

変な話、この場合、「戒名代」は、支払わなくていいのだろうか?

立川談志さんは「落語界の風雲児」といわれたが、「戒名制度とその料金(お布施)システムに一石を投じる結果」となるのであれば、「世間に投じた最後の問題提起」である。

ちなみに、戒名は、

「立川雲黒斎家元勝手居士(たてかわうんこくさいいえもとかってこじ)」。

最後まで自由奔放な方であった立川談志さんらしい戒名だと思う。

ご冥福をお祈りしたい。



【よかったらメルマガ読者登録お願いします♪】
(パソコンでアクセスしている方)
http://www.mag2.com/m/0000218071.html

(携帯でアクセスしている方)
http://mobile.mag2.com/mm/0000218071.html