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今日は、「お盆期間」であり、「第2次世界大戦の終戦記念日」でもある。
時節柄の話題に触れてみたいと思う。
私は、実家にお仏壇がないので、お盆に「ご先祖様をお迎えする」という感覚が、あまりない。
特に、祖父母が亡くなってしまってからは、ご先祖様のお墓が遠方にあることもあり、「お墓参り」自体も、ちょっとご無沙汰してしまっている。
2011年8月14日付の毎日新聞で、8月2日に秋葉原で開催された全日本仏教会主催の「第2回シンポジウム-葬儀は誰の為に行うのか?」について報じていたので、少し紹介してみたい。
記事によると、 スーパー大手のイオンが2010年に、葬儀事業に参入し、ウェブサイトで布施の目安額(10万~55万円)を明示し、話題になった。
しかし、従来から葬儀を事業として行っている全日本仏教会がこのイオンの「明朗会計」に反発し、「お布施」について「宗教的な行為」かなどについて、2010年9月に議論になったのだと言う。
今回のシンポジウムでは、「戒名」について議論がされたそうだ。
「僧侶派遣事業」を展開する「株式会社おぼうさんどっとこむ」の林数馬氏(僧侶)は、
『仏教の教えを守る誓約を立て生前に授かる戒名ならいいが、死後のおくり名としてならば必要ない』
と言い切ったそうだ。
しかし、「仏教情報センターの事務局長」である互井観章さん(僧侶)は、
『位牌に書かれた文字を通して故人の声を思い出し、仏の教えを聞くのが戒名。仏教的な葬儀をするなら、あって当然のものだ』
と反論したのだという。
このように「専門家」の間でも、「葬儀やお布施、戒名などの考え方」については、意見が分かれるのだ。
個人的な意見としては、「お葬式の役割が死者を弔うための手続きのひとつ」として考えるのであれば、「戒名」必須事項ではなくていいのではないのかな、と思う。
私自身の葬儀であれば、残された遺族が、「葬儀の慣例」や「見栄」に悩まされるぐらいなら「戒名は付けなくてもいい」と思っている。
死後、お盆などに、「遺族に少しは思い出してくれさえすればいい」とシンプルに考えているので、私自身は「仏壇」は「先祖供養のために必要」であっても、お墓は「散骨でもよい」と思っているので、必要ない。
もし、「戒名」を付けたいのであれば、生前に「自分の生きざまに見合った戒名を付けてもらって」、本人自ら妥当な「お布施」をお世話になるお寺に納めたいと思う。
要は、「遺族に金銭的、かつ、精神的に余計な負担はかけたくない」と思っている。
現実問題として、私も「葬儀」や「お墓」について真剣に親族と考えなければいけない年頃になった。
「お墓の場所」を決めるにあたっても、今後の人生設計と深くかかわってくる。
「無宗教」を自認する私ではあるが、おそらく「仏式」で死者を弔い、ご先祖様を供養することになるはずなので、もうちょっと日頃から宗教と向き合って考え方を整理しなければいけないな、と思う。
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