7月29日付の朝日新聞(電子版)によると、プロ野球のロッテ、阪神、大リーグのヤンキースなどで活躍した伊良部秀輝投手が7月27日にロサンゼルスの自宅で首を吊って自殺したという。

http://www.asahi.com/obituaries/update/0729/TKY201107290004.html


阪神を退団した後に、独立リーグの高知にある球団に現役復帰していたのが数年前の出来事だ。

7月19日発売の週刊SPA!に取材記事が掲載されていて、その記事によると、

◇高知の球団退団後は、ロスに戻って、生活していた

◇現在は、何もしていない(無職)

◇自分は英語がしゃべれないから、日本に帰りたい

◇家族が、日本より、こちらの方がいいと言っている

というような近況が掲載されていた。


記事で興味深かったのが、「なぜ、伊良部投手は、超一流の投手になれなかったのか?」の自己分析。

伊良部氏は、1969年生まれで、1987年のドラフト1位指名で尽誠学園からロッテに入団し、1997年から大リーグのヤンキース、エクスポズ、レンジャーズでプレーし、2003年に阪神に入団し、2004年に退団した。

それらを通じた通算成績は、

日本のプロ野球→72勝69敗11セーブ

大リーグ→34勝35敗16セーブ

だった。


伊良部投手と同程度の球速がある大リーグの投手は、200勝かっている投手が少なくない。

そのことについて、伊良部氏は「横に変化する変化球が自分にはなかったから」と分析していた。

確かに、ストレートは早く、フォーク、カーブと縦の変化はあるものの、伊良部投手には、横の変化球がなかった。

伊良部氏曰く「縦の変化だけで、大リーグで100勝できたのは野茂英雄投手ぐらい」とのこと。


月並ではあるが、バッターが打ちづらいのは、球の出所が見えにくく、遅い、日本のプロ野球界でいえば、ソフトバンクの杉内投手や和田投手のようなタイプなのだろう。


本人は、日本で大リーグにあるような「巡回コーチ」をやりたい!と記事で語っていた。

日本のコーチシステムでは、「選手の育成過程で、ずっと同じコーチ」というシステムが取られていないので、コーチが変わるたびに、変更を余儀なくされ、それでつぶれてしまう才能ある人材がたくさんいるのだという。

伊良部投手は、「本当に野球が好きなんだなぁ」と思った。


しかし、今更ではあるが、SPA!の記事を読んだ時に、ちょっと嫌な予感があった。

記事の雰囲気から、なんだか、生きる気力を無くしたような感じがありありだったのだ。


伊良部投手のご冥福をお祈りしたい。