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(その1からの続き)
話しは変わるが、「連敗中の野球部から首位打者」といえば、古い話で恐縮だが、東京大学野球部所属の立迫浩一内野手が1984年の秋季リーグで獲得したのが思い出される。
このときも、確か東大は連敗中で、東大の試合数は少なく、立迫選手のヒット数も少なかった。
ちなみに、東大では首位打者はこれまでに7人誕生していて、立迫選手は6人目だった。
(一番最近(7人目)は、1995年の春季リーグで獲得した間宮敦選手)
打者から話題がそれるが、東大野球部史上、通算勝利数が多い投手(タイ記録)に17勝(35敗)の岡村甫投手(1938年生まれ)がいる。
岡村氏は、現在、高知工科大学の理事長さんで、経歴的には、東大工学部土木工学科を卒業して、教授になり、東大工学部の学部長や土木学会の会長、高知工科大学の学長などを務めた学者さんだ。
野球に関しては、過去に、東大野球部の監督、東京6大学野球連盟の理事長なども務めている。
私は、幼少のころに、岡村さんとキャッチボールをしたことがある。
当時、千葉県船橋市にあった官舎に住んでおり、岡村家も同じ6号棟に住んでいたのだ。
その他に、東大野球部で記憶に残っている投手は、1981年の春季リーグで5勝を挙げた大山雄司投手。
このシーズンでは、東大はリーグ4位となり、1980年代前半の赤門旋風の立役者となった。
東大野球部で一般に有名な投手は、「都立の星」として甲子園に出場した国立高校野球部出身の市川武史投手だろう。
市川投手に関しても、伯父が当時の国立高校の事務長を務めており、サインボールをいただいたので、とっても思い出深い。
東大史上で日米大学野球の日本代表選手と言えば、大越健介投手であろう。
大越健介氏は、言わずと知れた現在放映中の「NHKのニュースウォッチ9のメインキャスター」である。
大越投手は、右のアンダースローであったが本格派で、通算8勝27敗。
「アンダースローの日本代表投手」は珍しかったから、野球好きで野球少年の私の記憶には鮮明に残っている。
ちなみに、日米野球の当時のメンバーは、元ヤクルトの広沢克己選手や元広島の小早川毅選手、元阪神の和田豊選手などそうそうたる顔ぶれだった。
日米野球では、その後カージナルスで活躍した大リーガーのマーク・マイワイア選手とも対決している。
実は、ニュースウォッチ9に大越キャスターが登場した時は、「あの時の東大野球部の下手投げの投手」とは、すぐには気づかなかった。
スポーツコーナーで「やけに野球に詳しいキャスターだな」と思って経歴を調べて気づいたぐらいだ。
その後の東大野球部出身の投手と言えば、私と同学年で、現在ソフトバンク球団の取締役もされている小林至投手(東大出身の3人目のプロ選手)とか、元ファイターズの遠藤良平投手(東大出身の4人目のプロ選手。現在球団職員)がいたが、大学時代の通算勝利数としては、岡村氏、大山氏、大越氏、市川氏などと比較して小粒だった。
現役東大出身投手では、現ファイターズの松家卓弘投手(東大出身の5人目のプロ選手)がいる。
東大出身プロ野球投手では、第1号の新治伸治投手が通算9勝、第2号の井手峻投手が通算1勝で、その後は松家投手まで未勝利である。
なんとか、松家投手が勝ち星をあげる日が実現して欲しいと思う。
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