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小沢一郎氏の強制起訴が決まると、野党は一斉に、議員辞職や、証人喚問(※結果的には、各党の国対委員長の調整で国会招致の方向でまとまる)を要求しだした。
つくづく、こういった行動を見ていると「自らの信念よりも立場で発言しているよな」と思う。
基本的に、政権政党がやることなすことに、信念よりも優先してケチをつけるのが野党の仕事。
そうでなければ、その政党の支援者に「腰砕け」「弱腰」と言われてしまうから、「立場で発言せざるを得ない」のは支援者に対して自らや自らの政党の活動を鼓舞する意味もあるのだろう。

仮に、逆の立場で、自らの党の有力者が、小沢氏のような立場になっていたら「裁判所で判決が下るまでは推定無罪であり、出処進退は自らが決断すべきこと」などと発言しているに違いない。
もし、その時に党の役職に就いた状態で、自らの信念で「辞めるべき」などと発言していたら、クビになる。
現に、今回の件でも、「小沢氏には離党勧告や除名処分にすべき」と息巻いていた牧野聖修国対委員長代理が役職を降りることになった。
一議員ならともかく、役職がある身で、立場を無視した発言をするとこうなる。
小沢氏の秘書が逮捕された際に同様の発言をした当時の生方幸夫副幹事長も解任(世間の批判を浴びて後に撤回)要求された。

話しは少しズレるが、『人の発言』が「本音なのか建前なのか」別のいい方なら「興味や関心(真意)から発言しているのか、立場として言っているのか」を見極めないとダメだよな、と思う。
例えば、検察官の取り調べについて、「可視化」が世論として高まっている。
しかし、当事者の検察組織は、基本的に「可視化反対」を表明している。
だが、犯人隠避容疑で逮捕された大坪前大阪地検特捜部長や佐賀副部長が、「今回の逮捕は、高検の筋書きに基づく逮捕であり、取り調べの記録の録音等が必要」というような要求をしているという。

この例なども、 「今までの発言が“真意よりも立場”で語っていた」事例の最たるものだろう。
したがって、私たちが「本来どうあるべきか」を考える時は、
◇その発言している人が、それに関わる利害関係者であるかどうか
◇できるだけ客観的な視点で、そもそもどうあるべきか

を考えるべきであろう。

変な話、「中立公正であるべき」マスメディアだって、その発言により、スポンサーや、視聴率、発行部数、放送免許、記者クラブ制度などといった利害に影響が出てくるから、「中立公正に報道しているかどうか」は微妙なケースもある。
つまり、発言者が利害関係者である場合、ある意図をもって、その発言により世論形成や社会を作ろうとしている流れに、私達は、まんまとはまってしまい、「イメージ中心」で良い悪いをミスジャッジしてしまうだろう


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