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若いころと体質が変わったのか「たばこ」を吸い込むと片頭痛に襲われやすくなった。
したがって、食事をするとき、喫茶店でお茶するとき、複合カフェで調べ物をする時、など、その空間の「けむり」の具合をチェックしてから利用している。
先日も、100席規模のある複合カフェに寄ったら、あいにく「禁煙席は満席です」という。
カウンターに置いてあった座席表をチェックすると、そもそも「100席のうち禁煙席は10程度しかない」ので、「最近の喫煙率からすると禁煙席の割り当てが少ないんじゃないの?(笑)」とツッコミを店員さんに入れたくなった。
ただ、お客さんが入っている席をその座席表でチェックすると、「喫煙席でも奥の方には人がいない」し、施設自体も「複合カフェの天井が高い」「空調機が機能している」ようだったので、「奥の喫煙席」を希望して利用した。
しかし、こうやって文章に書くと「めちゃくちゃタバコに対して神経質な嫌煙家」のように映るが、実際は、そうではない。
というのも「煙(けむり)は体質的に苦手であるが、経験値を自ら狭めること」はしたくないからだ。
つまり、「けむりは100%ダメ!」と言うことにすると、
◇喫煙者との交友関係が狭まる
◇知り合いたい相手から敬遠される
◇必要以上に相手に気を遣わせる
◇生活するのが不便になる
◇経験できるべきものが経験できなくなる
というデメリットが生じてしまう。
私の信念上、「ものの見方・考え方を深める」「発想を広げる」「多様な価値観を認識・理解し、認める」「相手に分かりやすく自分の考えを伝える」といったことをするためには、疑似経験を含めて「数多くの経験値を積む必要がある」と考えているから、先に挙げたような「けむりの拒絶」によるデメリットは生じさせたくない。
話はちょっとずれるが「君子は危うきに近寄らず」ということわざがあるが、「色々な経験値を積むことなく、“君子は危うきに近寄らず”を実践する」となると「本来危なくないもの」にも近寄らなくなり、最終的には『偏見』が生まれる。
「けむり」に限らず、色々なものに対して、頭ごなしに「拒絶!」「無理ぃ~!」「無関心」という姿勢は、個人的には避けたいし、「人としての領分の狭さ」と言う観点でどうかと思う。
「人に対して理解できる人、配慮できる人」になるには疑似体験を含めた経験値を積むことである。
そうでなければ、「リスクの発生確率が低いのに必要以上に石橋を叩いて結局渡らない」偏見ありありのツマラナイ人になってしまうのだろう。
(※ 自分を変える“気づき”ロジカル・シンキングのススメ メルマガ186号より)
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