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「仕事をする喜び」は、仕事により「製品・サービス・活動」を提供した人にどれだけ感謝されるか否かによって決まる。

例えれば、子どものために、一生懸命、手の込んだ手料理を作ったお母さんが、作った料理を食べてもらった時に「美味しい」「また食べたい」と言ってもらえると、「それまでの苦労」は「苦労とは思わず」、疲れも吹き飛ぶのと一緒だ。

話は、ずれるが、子供産んだことのある女性に聞くと、「赤ちゃんを産むときの痛さは、気絶するぐらい痛い」のだそうだ。
しかし、「おぎゃぁ」という赤ちゃんの元気な鳴き声、「お疲れ様」という旦那さまの声を耳にした途端、その痛みは、すでに過去のものとなるそうだ。
男性だからリアルには想像つかないが、「痛みが過去のもの」になってくれないと、「ふたり目を作るぞ」という気持ちに女性は、まずならないだろう。

私は毎日、ブログを更新していて、ありがたいことに、ブログ開設以来、アクセス数は微増ではあるが右肩上がりだ。
ある時、もっとアクセス数の多いブログを書いている知人に聞いたら「ブログアクセスの増加」や「嬉しいコメント」は、記事を書く原動力になると言っていた。

ブログには「メモ代わりの自分ため」「書きたいことを自分のために書く」という理由やそういう人もいるが、たいていは、書いているときに「この人」あるいは「こんな人」に読んでもらいたいな、という「仮想の読者」を意識して書いている。
要は、ビジネスに例えれば「顧客の要求、要望、期待を理解して、それに応えるようにしよう!」と多かれ少なかれ、考えながら記事を書いている。
そうでなければ「自己満足記事」になってしまい愛読者様(顧客数)が増えるはずがない。

私は、仕事で、会社の経営システムを監査することがある。
以前は、監査をしているとき、あるいは、総評を述べる時に、「なるほど」とか「今まで気がつかなかったことに気づかされました」とか「発想が広がりました」といった「監査側からすると嬉しい感想」を「監査した会社側」からいただいたものだ。

監査は「サービス業」だから、「監査する側(監査員)」は、相手に対して上から目線にならないよう、時として「知らないふりをしてバカになる」ことを演じたり、他の会社でも一般的に実施されている改善活動でも「こういった取り組みが定着している貴社はスゴいですね」とちょっと持ち上げたりする。
これは、サービス業で対価をいただいている以上、慇懃無礼(いんぎんぶれい)になり過ぎるのは良くないが、相手を敬い、気を回すことは、良質なコミュニケーションを取るために必要なことだ。

しかし、最近は、「監査をするとストレスしかたまらない」と感じるシーンが増えた。
要は「仕事に対する喜び」を感じないのだ。
なぜかといえば、
◇監査員と最初から、対峙した関係を作ろうとしている(喧嘩腰)
◇余計なことを聞かれたくないと口を閉ざす
◇感想やアドバイスは、余計なことを言われたと必ず反抗する
◇監査中も、終わった後もまったく無反応
であることが多いからだ。

数年前であるが、私の友人で教師をしていた人が教師を辞めた。
詳しくは聞かなかったが、「工夫して何を教えても生徒から感謝されない」「苦労して用意した教材を使っても“面白かった”“分かりやすかった”という反応が無い」など、おそらく、仕事に対する喜びを感じなかったからだろう。

これらからは、もちろん、「監査員の監査の仕方」や「教師の教え方」にも改善の余地はあるだろう。
しかし、「教えてもらって当然」「お金を払っている私達が感謝するのは馬鹿らしい」という「してもらって当然」「下手に出るのは相手に弱みを見せること」という「間違った概念」が世の中にまん延しだしている気がする。

人は、毎日多くの人と、直接、あるいは間接的に接して、いろいろなものやサービスを享受している。
みんなが、「ありがとう」や「感謝の意」をもっとちゃんと相手に伝えなくっちゃ、それこそ「ストレス社会」や「働くことに対する喜び」を感じない暗~い社会になっていくんではないだろうかと思う。
(※ 自分を変える“気づき”ロジカル・シンキングのススメ メルマガ183号より)



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