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今の「卒業式の定番ソング」はレミオロメンの『3月9日』なのだという。
(ORICON STYLE調べ)
アラフォー以上の世代では荒井由美(松任谷由美)さんの『卒業写真』や海援隊の『贈る言葉』、もうちょっと年代が下がるとコブクロの『桜』、森山直太朗さんの『さくら(独唱)』あたりらしい。

報道番組をみていたら、最近では「卒業式にふさわしい歌は何か?」で世代によって賛否が分かれているという。
つまり「歌いたい歌を歌う」のか「従来からの定番ソングを歌う」のかである。
なぜ、こういった話題が出ているかと言うと、冒頭に挙げたように、昔から、その時代時代にヒットした「卒業式にちなんだJ-POP」はあった。
しかし、以前であれば実際に「学校の卒業式で歌ったかどうか」ということになると「贈る言葉」は市民権を得ていたと思うが、その他の歌は卒業式で歌われることはあまりなくいわゆる昔からの定番である「蛍の光」と「仰げば尊し」、あるいは「大地讃頌」だった。
それが、今では普通に「3月9日」など「流行りのJ-POP」やあるいは「卒業生手作りの歌」が卒業式で歌われたりするのだという。

この「卒業式で歌う歌」の移り変わりは、教育現場では「卒業生が思い出に残る歌を歌って欲しい」という考えよるものであり、生徒にも好評のようであるが、親世代にとってはは「涙が出ない」「卒業式らしくない」と不評の声もあるのだと言う。

個人的には「卒業式は誰のためのもの」であり「何のためにあるの」の捉え方によると思う。
振り返ると、私が小学生時代を過ごした小学校は、先生方の間に「卒業式は恩師や父兄など来場者への感謝を表すためのもの」と考える派閥と「生徒達のためのもの」(=思い出の場であり、その場を作るために学年やクラスがひとつになることが大事)と考える派閥が、子供の目線で見ても明らかにあった。
したがって、前者は「蛍の光」や「仰げば尊し」を選曲しようとしていたし、後者は「旅立ちの歌」や「大地讃頌」、「贈る言葉」を選曲しようとしていた。
確か、私が5年生の時の6年生の先生方は「前者」、6年生の時の先生方は「後者」と全くコンセプトの違う卒業式を演出していた。

私が6年生の時の先生方の言葉が今でも印象に残っているのは「卒業式はみんなのものであって、先生たちのものではない」という趣旨のことを言われたことだ。
おそらく、その時の先生方が言いたかったのは「仰げば尊し」は明らかに「先生(恩師)礼賛ソング」であり、結婚式に例えれば「新郎新婦への花束贈呈」のようなもので、
“生徒が先生に感謝する気持ちは自然と生まれるべきものであって、卒業式でその当事者である先生が生徒に歌うことを半ば強制するものではない”
(=言い換えれば、生徒が恩師に対して感謝し、自主的に歌いたいなら、それを妨げるものではない)
という想いがあったのだろう。

私は、卒業式ソングの「J-POP化」は1999年に制定された「国旗及び国歌に関する法律」の影響があるのではないかと思う。
つまり「国旗及び国歌に関する法律」により卒業式における「日章旗の掲揚」と「国歌斉唱」は事実上強制力を持った。
そこで「強制されているもの」とのバランスを取る意味で「生徒が思い出に残る歌」という流れができ「J-POP化」や「手作りソング化」になったのではないかと思う。

ユーチューブでレミオロメンの「3月9日」を聴いてみた。
http://www.youtube.com/watch?v=-j1JpwKETbU 「人との出会いや支えに感謝し旅立ちを迎える歌詞」は私のようなおじさん世代が聴いても心に沁みるいい歌だ。
「若者に支持されている」理由がよくわかる気がした。


(※ 自分を変える“気づき”ロジカル・シンキングのススメ メルマガ168号より)
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