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先週(2009年9月27日)の話題であるが、大相撲の秋場所千秋楽は、優勝決定戦で横綱朝青龍が横綱白鵬を破り、24回目の優勝をして幕を閉じた。
その時、朝青龍は土俵上でまたも「ガッツポーズ」をしたのである。
「ガッツポーズ」に関して、朝青龍は以前にも注意を受け、「もうしません」と反省している。
しかし、翌日開催された「横綱審議委員会」では、鶴田卓彦委員長(日本経済新聞相談役)は「あの程度はいいんじゃないかという意見と絶対駄目という意見の両方だった」と語り、優勝については「予想外の集中力とパワーを発揮して土俵を盛り上げた」と評価したのだ。
つまり、横綱審議委員会で「土俵上でのガッツポーズ容認」とも取れる発言が出たのだ。
もちろん、横綱審議委員会は外部の有識者を交えた「会議体」であるし、理事会の諮問機関であるから、さまざまな意見が出るのは構わない。
しかし、「ガッツポーズ」について、以前から「力士の振る舞いとして品格のない行為」としてきた方向を転換する意見を発信するのはどうかと思う。
私個人的には、大相撲を「国技」や「日本の伝統文化の象徴」「祭祀のひとつ」などと捉えるのは個人的には好かないが、今まで、大相撲はそのように捉えることで「単なる競技スポーツではない」と世間から一目置かれる「格式ある伝統芸能的存在」として受け取られてきたはずである。
そうでなければ、例えば、「土俵には女性は上がってはならない」といった「大相撲における伝統」などは「現代社会においてバカバカしいもの」であり、さっさとそんな慣習を廃止して「内館牧子委員(作家)」を土俵に上げるべきである。
「ビジネスの世界」においては、時代の流れに応じて「仕事のやり方を見直していくこと」は必至である。
そうでなければ、顧客満足はより追及できないし、いずれ淘汰されることになる。
しかし、世論には左右されずに「こういうものである」として「変えてはいけない」ものもある。
それは、「日本の文化」といわれる各地方の伝統行事や伝統芸能である。
つまり、そういったものは「ビジネスと同じ視点」で「大衆から支持されるか否か」に左右されてはならず「理屈ではなく昔からこういうもの」として「守るべきもの」なのだ。
そういった観点で、今回の横綱審議委員会で、鶴田委員長から「ガッツポーズ容認」とも取れる意見が出たり、他の委員から「朝青龍の品格を疑問視する真っ当な意見を述べている内館定員」に対して「あなたは朝青龍が憎いのか?」という低レベルの意見が出ていたことには、正直がっかりである。
すくなくとも、「ガッツポーズ」に関しては、以前の横綱審議委員会では「品格に欠ける行為」として「朝青龍に反省を求め」それを受けて「朝青龍も2度としません」と反省してきた経緯がある。
これでは、「なんのための反省」だったのか分からないし、「約束したことを守っていない朝青龍の振る舞いを助長させ、“問題なし”とお墨付きを与えてしまった愚行」の場と審議委員会は化している。
「日本相撲協会の体質改善」が叫ばれている今、「横綱審議委員会」が「朝青龍が左肘のけがにもかかわらず集中力を持続して優勝した勝敗結果重視」の目線では「良識の府」としての機能を果たしていない。
「ガッツポーズ容認発言」は、協会や親方の力士の指導力低下を招く、大きく影響を与える「審議委員の見識をも疑ってしまう」問題発言だったといえるだろう。
「横綱審議委員は有識者の集まり」とはもはやいえないし、相撲協会の体質改善などまだまだ遠い話である。
(※ 自分を変える“気づき”ロジカル・シンキングのススメ メルマガ144号より)
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その時、朝青龍は土俵上でまたも「ガッツポーズ」をしたのである。
「ガッツポーズ」に関して、朝青龍は以前にも注意を受け、「もうしません」と反省している。
しかし、翌日開催された「横綱審議委員会」では、鶴田卓彦委員長(日本経済新聞相談役)は「あの程度はいいんじゃないかという意見と絶対駄目という意見の両方だった」と語り、優勝については「予想外の集中力とパワーを発揮して土俵を盛り上げた」と評価したのだ。
つまり、横綱審議委員会で「土俵上でのガッツポーズ容認」とも取れる発言が出たのだ。
もちろん、横綱審議委員会は外部の有識者を交えた「会議体」であるし、理事会の諮問機関であるから、さまざまな意見が出るのは構わない。
しかし、「ガッツポーズ」について、以前から「力士の振る舞いとして品格のない行為」としてきた方向を転換する意見を発信するのはどうかと思う。
私個人的には、大相撲を「国技」や「日本の伝統文化の象徴」「祭祀のひとつ」などと捉えるのは個人的には好かないが、今まで、大相撲はそのように捉えることで「単なる競技スポーツではない」と世間から一目置かれる「格式ある伝統芸能的存在」として受け取られてきたはずである。
そうでなければ、例えば、「土俵には女性は上がってはならない」といった「大相撲における伝統」などは「現代社会においてバカバカしいもの」であり、さっさとそんな慣習を廃止して「内館牧子委員(作家)」を土俵に上げるべきである。
「ビジネスの世界」においては、時代の流れに応じて「仕事のやり方を見直していくこと」は必至である。
そうでなければ、顧客満足はより追及できないし、いずれ淘汰されることになる。
しかし、世論には左右されずに「こういうものである」として「変えてはいけない」ものもある。
それは、「日本の文化」といわれる各地方の伝統行事や伝統芸能である。
つまり、そういったものは「ビジネスと同じ視点」で「大衆から支持されるか否か」に左右されてはならず「理屈ではなく昔からこういうもの」として「守るべきもの」なのだ。
そういった観点で、今回の横綱審議委員会で、鶴田委員長から「ガッツポーズ容認」とも取れる意見が出たり、他の委員から「朝青龍の品格を疑問視する真っ当な意見を述べている内館定員」に対して「あなたは朝青龍が憎いのか?」という低レベルの意見が出ていたことには、正直がっかりである。
すくなくとも、「ガッツポーズ」に関しては、以前の横綱審議委員会では「品格に欠ける行為」として「朝青龍に反省を求め」それを受けて「朝青龍も2度としません」と反省してきた経緯がある。
これでは、「なんのための反省」だったのか分からないし、「約束したことを守っていない朝青龍の振る舞いを助長させ、“問題なし”とお墨付きを与えてしまった愚行」の場と審議委員会は化している。
「日本相撲協会の体質改善」が叫ばれている今、「横綱審議委員会」が「朝青龍が左肘のけがにもかかわらず集中力を持続して優勝した勝敗結果重視」の目線では「良識の府」としての機能を果たしていない。
「ガッツポーズ容認発言」は、協会や親方の力士の指導力低下を招く、大きく影響を与える「審議委員の見識をも疑ってしまう」問題発言だったといえるだろう。
「横綱審議委員は有識者の集まり」とはもはやいえないし、相撲協会の体質改善などまだまだ遠い話である。
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