ここ数年「脳を鍛えるトレーニング(脳トレ)」ものがはやってようだ。
書店に行っても、「脳トレ」ものの書籍はたくさんある。
インターネットの検索(グーグル)で「脳 鍛える」と入れて検索をしたら100万件以上ヒットした。
体力や容姿は年齢とともに目に見える形で老化しているのが分るので、実感がわく。
頭も、記憶力は、名前がすぐに出てこないなどの物忘れなどにより実感する。
時間があればよいが、日常生活の中で体力・脳力とも鍛えて維持・向上できれば一番良い。
「体力」に関しては、肉体労働者は身体を使っているが、事務ワークの場合は車通勤の地方のサラリーマンより、交通機関を乗り継いで階段を上り下りする都会のサラリーマンの方が鍛えられているそうだ。
「脳力」に関しては、書店に行くと「脳を鍛えるドリル」とかあって、とっても役に立ちそうではあるが、もちろんふつうは日々の生活の中にそんな時間はあまりない。
脳の中で年齢とともに衰えるものとして、「外部情報に対して知識の倉庫から引っ張り出してくる時間は遅くなる」のだそうだ。
逆に、「関連する知識と知識を結びつけてアイディアを出す力」は年齢とともに増していくそうである。
いわゆる「おばあちゃんの知恵袋」的発想である。
問題は、年齢とともに普段必要と思われない情報を人間は遮断して行ってしまう傾向にある。
「くだらない」、「つまらない」、「私には関係ない」、「覚えるだけ無駄」と言う感じだ。
情報を遮断すればするほど、ものごとの事象に対しての認識する力、理解力は発達しない。
いわゆる「今までの経験の中でしか判断ができなくなる」のである。
これは、時として「うちのお父さん(お母さん)は頑固だから」とか「うちのおじいちゃんは昔の無骨な日本男児だよね」として褒め称えられるケースもあるが、単に「自分が経験していない(または興味を持って情報を入れてい
ない)ことを理解できない」だけであることも多い。
では「どうすれば良いのか?」と言うことになるが、日常生活で普段できることとしては、子供の時のように、世の中の色んな事象に対して「なぜだろう」、「どうしてだろう」と言う習慣をつけることだ。
かつて自分が興味を持っていたものに対して、最近関心がなくなっていたらヤバイ、と思った方がいい。
相手の言っている事が理解できなくなると相手の立場を理解して伝える力も弱くなる。
情報化社会だけに、ただでさえ情報が多くて「興味のある情報以外」は無意識のうちに排除してしまう傾向があるが、「どういうことだろう」、「どのようなシステムで成り立っているのだろう」と言う好奇心が薄れないよう努力しない
とであろう。
恐ろしいことに、「興味がなくなればなくなるほど、色んな社会的な事象を理解できなくなり、一見、異質なものを排除しようとする」ことになる。
ヤンキー兄ちゃんが「はぁ、オメエの言っている意味わかんねぇ」とか年長者が「今どきの若者は」と言う状態である。
論理能力がない人が増えると「感情でものごとを判断する」傾向になる。
感情に訴えることのみで人に支持され評価される世の中になったら、かなり怖い。
(※メルマガ:自分を変える”気づき”ロジカルシンキングノススメ(第6号)より)