以前、20年以上ぶりに同級生達数人と再会をしたことがあった。
つまり高校卒業以来である。
その中の数人は、就職や共通の知人の結婚式など節目節目で会ったことがあったが、その他の殆どのメンバーは正真正銘の20年以上ぶりである。

しかし、再会した時の外見の印象は「変わっていない、だいたい想像したとおり」であった。
それは、私だけでなく他の同級生もそういう感想だった。
もちろん、当時の卒業アルバムと比較すれば、髪の毛が薄くなってきた奴、白髪が増えた奴、腹が出てきた奴など当時よりは当然「成長」していたが、その変貌ぶりは「想定内」であって、「誰だかわからなかったよ~」はなかった。

話は変わるが、以前は一度会った人の名前や政治や社会、スポーツ、芸能などでの有名人や出来事などよく情報をインプットしていた。
人とのコミュニケーションを深めたり、会話の題材を増やすために意識的に情報をたくさんインプットした時期もあったが、その人物や出来事に関心や興味を持つとなんとなく無理せずに頭に情報が入った。

最近は、ど忘れすることも多く、友人達からは「強靭なハードディスク(記憶力)も衰えたね」と揶揄されてしまう(汗)。
しかし、「あれ何だっけなぁ、確かこうだったよなぁ」と記憶のかけらをたどって、色々な角度からたどり着きたい記憶にアプローチしてみる
それでも、出てこないときがあるが、何かの拍子で、「ポコッと」、「あっ、これだよ」と思い出されるときがある

意識や認識は目の前の事を処理する以外に気になっていることに対しては表面的には無意識でも認識は働いているし成長していると思う。
先ほどの同級生の例は、数日前に友人達に会う事が決まった時から「きっとこんな風に変わっているんだろうなぁ」と20数年後の今を想像したのであろうし、ど忘れが思い出されたのは無意識の意識が働いて頭の中のどこかで保管されていた情報を探してくれたのだろう。

マネジメントシステムをテーマに仕事をしているので、よく人から「論理的思考(論理的能力)はどのように身に付けるのですか?」と言う質問を受けることがある。
私自身が日々研鑽の身なので偉そうなことはいえないが「強烈に意識的にものごとを考える」しかないだろうなぁ、と思う。

社会や身の回りの出来事に関心や興味を持つ。関心を持った出来事に対して仕組みはどうなっているのだろう、なぜこうなっているのだろう、と常に疑問を持って探究心を忘れずに意識し続けることではないかと思う。
「何故だろう、どうしてだろう」と考えるとその事を理解するためのベースになる知識や学問、システムや背景の思想などが知りたくなる

乱暴な言い方をすれば、「強烈に意識していると表面的にはそのことに対して無意識な状態になっても心の奥底の意識が必要な情報を無意識に取りに行く活動をしてくれている」と思う。
身体が疲れて頭が働かない時に、自然と糖分を摂りたくなるかのように。

人に何かの仕事をやってもらったりするときに即座にやってもらいたい時は、前もってある程度予期出来るような情報を話しておく方がいい。
必要な情報を無意識に頭が探しているから処理が早いと思う。

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