この事件の容疑者として2009年5月21日に山本竜太容疑者が逮捕された。
逮捕から数日たって、山本容疑者の人物像が各メディアで報道されるにつれて「山本容疑者の高窪教授に対する恨みと殺意はどういうプロセスで構築されて行ったのだろう」と思う。
山本容疑者は、「高窪教授のご家族への謝罪」「両親への謝罪」は取り調べの中でも話しているというが、「高窪教授に対しての謝罪の言葉」は、まだないようだ。
つまり、相当の恨みを山本容疑者は高窪教授に抱いていたと想像できる。
報道されている山本容疑者の生い立ちは、気の毒な部分もあるが、そのような境遇の人はゴマンといる。
ただ、多くの人が、それをなんとか乗り越えて生活している。
しかし「この事件は山本容疑者に限った特異なもの」と捉えると、この事件から学ぶべきものは「思考停止」になり、なくなってしまう。
この「恨みと殺意の構造」が解明されなければ、悲劇はまたどこかで繰り返されるだろう。
山本容疑者に関するキーワードは、「孤独」である。
例えば、
・同級生からは「おとなしい」「名前は知らない」と存在感が薄い
・ガチガチにまじめで素直
・相談相手もいなくて、悩みをすべて自分で抱えるタイプ
・就職した職場では、話しかけても盛り上がらなかった
・「コミュニケーション不足」を理由に就職した会社を解雇された
などのエピソードがあるようだ。
山本容疑者は、卒業から逮捕されるまでの約5年間で5か所の職場を転々としているが、転職経験のある人なら分かる理屈であるが「キャリアアップにつながらない転職は、どんどん自分が学んだ専門性からかけ離れたものとなり、給与水準は下がる」。
つまり、「レールから外れた状態」となると、もがいてももがいても、もうどうしようもならない。
ここで、「コミュニケーション力」という武器があれば、まだ、山本容疑者の場合、20代であるから「レールに乗っかる再帰」が図れたかもしれない。
ただ、ここまでの状況であれば、「高窪教授に殺意を抱くほどの恨みを持つだろうか」と思う。
考えられるとすれば、山本容疑者は卒業単位がわずかに足りず、留年したというから、
・不足単位に高窪教授が絡んでいる
・留年したことにより、就職先が限定され、希望する職種、会社に入れなくなった
・今の自分を鑑みて「この不遇の人生の原点は留年したこと」と考えている
という想いが「恨み→殺意」となったのだろうか。
話は変わるが、山本容疑者が逮捕された時に、20年近く前の出来事がよみがえった。
それは、私が大学4年になった時に、同級生が「担当教授を脅迫した容疑」で逮捕されたのだ。
この事件はワイドショー「おはようナイスデー」で取り上げられ、学校に奥山英志レポーターと取材カメラが来ていた。
彼は、確か成績が学科生約200人中4番目で優秀だった。
私は学籍番号がとなりで、比較的仲がよかったので、事件を知った時はとてもびっくりした。
事件後に退学してしまったので、彼と話すチャンスはなかったが、
・コミュニケーション下手
・他人に叱責された経験が少なく、打たれ弱い
印象が私の彼に対する人物像だ。
「コミュニケーション力のある人」に「どうやったら鍛えられますか?」と問えば、「場数でしょう」とか「積極性を持つことでしょう」という答えが返ってくると思うが、実はそれはなかなか難しいし、しかも、成人してからはもっと困難だ。
「幼児・児童教育」段階で、コミュニケーション力を育む何かいい手はないのだろうか?
「平成の育児教育のカリスマである久保田カヨ子氏」なら、なんと答えるのだろう?と思う。
【よかったらクリックお願いします♪】↓

ブログランキングranQ
企業家ブログ→http://www.kigyoukablog.jp/ranki.cgi?id=35