記事では、主に、
・問題は、1月25日の大相撲初場所千秋楽で優勝を決めた際の「ガッツポーズ」
・1月29日の理事会前に師匠の高砂親方を呼び注意をする
・「ガッツポーズ」については、横綱審議委員会でも「品格を欠く」と批判が出た
・朝青龍は27日にモンゴルに向け離日したが「報告、謝罪に来るべき」と理事長は非難
・高砂親方についても、「何らかの態度を示すのが筋」と非難
・横綱の態度を理事長が批判するのは異例
・理事長は、「初日の稀勢の里戦での勝負のついた後のダメ押し」、「7日目の嘉風戦で決着がついた後も土俵下でにらみ続ける態度」も品位に欠けるとの指摘
ということを報道していた。
このことに対して、
「ヒールキャラはどの世界にもいる。優勝したんだから土俵で喜怒哀楽を素直に出して当然」
と考える人も多いと思うが、それはやはり間違っているだろう。
相撲は、今年から中学校の必須科目として、「柔道、剣道、相撲」から1つを選択することが決まったという。
「スポーツ」なら他にもたくさんあるが、これらがひとつのカテゴリーとして分けられて選択必修になったのは、「スポーツを超えた武道である」からだ。
その他にも、「道」と付くものには、空手道、合気道、居合道、弓道、華道、茶道、香道・・・などたくさんあるが、これらが海外の方から畏敬の念を持って捉えられて、「東洋の神秘」と言われるゆえんは、
「単に強い(優れている)だけでなく、所為など人格も完成されているから」
である。
つまり、「道」が付いているこれらは、
「稽古の過程で技を磨くのと同時に人格の完成も目指している」
ことが「勝ち負け」だけが優劣となるスポーツとの最大の違いなのだ。
だから、「ガッツポーズ」や「睨みつける」など相手対するに思いやりに欠く行為は「品格に欠ける」と言われても当然なのだ。
だから、かつては、初の学生横綱となった輪島の得意技が「左の下手投げ」であったことから「横綱らしくない」と批判した人たちも多かったという。
それは、相撲の王道の決まり手を、「寄り切り、押し出し、突き出し、上手投げ」などがいわゆる「横綱相撲」であり、下手投げは邪道と考える人たちがいたからだ。
「下手投げが邪道か否か」の議論は別にして、つまり「横綱らしさ」が横綱には求められるものだから「勝てば何でもいい」というものではない。
それにしても、朝青龍関は、つくづく「反省がない」と思う。
同じモンゴル人力士でも横綱白鵬関や大関日馬富士関は、土俵上はもちろん、日頃の行いも評価されている。
違いを考えてみると、朝青龍関は、出世が早すぎた。
つまり、
「稽古を通じて人格が完成される前に強くなってしまった」
ということなのだろう。
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