2006年2月の衆議院予算委員会で、当時ライブドア社長であった堀江貴文氏が自民党幹事長であった武部勤氏の次男への送金を指示したとするメールを取り上げたいわゆる「偽メール事件」をきっかけに議員辞職した永田寿康元代議士が1月3日の午後6時半ごろ自殺した。
飛び降り自殺した北九州市のマンションの10階と11階の間の踊り場には、永田氏のものとみられる遺書があったという。

年末の週刊誌で、永田氏は現在、「精神的に衰弱し、実家のある九州の病院に通院しており、自殺未遂も起こした」ことが報じられていた。
その記事を読んだばかりたっだので「政界復帰はもうないのかな?」と思っていた矢先のニュースではあったが、それでも自殺の報は驚きだ。
私は永田氏と世代がほとんど一緒なので、月並みだけど「エリート街道を走ってきた人は挫折に弱いのかな。いくらでも復活の道はあったのに」と思う。

永田氏がエリートと言われるゆえんは、御家柄とその経歴にある。
経歴は、慶応志木高校から東大工学部物理工学科を経て大蔵省に入省し、UCLAに留学してMBAも取得している。
そして、代議士の公設秘書を経て、2000年の衆院選で千葉2区から出馬し、当選した。
また、実父が九州の医療法人の会長を務めていることから潤沢な資金を持っているとも言われている。

経歴などから想像すると、「衆院議員になるまでは」順風満帆な人生だったのだろう。
しかし、議員になってからは、
・2003年3月にねつ造に近い再現実験
(2002年11月に発生した名古屋刑務所の高圧放水死亡事故)
・2004年3月の歴代3首相に対する不適切発言
・2005年7月の都議選に関する「公明党支持団体の不適切な住民票異動」発言
・2005年8月の創価学会の宗教法人認可に関する不適切発言
・2006年2月の衆院予算委員会における偽メール騒動
とトラブル続きだった。

このことから言えるのは、
「理科系出身の割に出所不明確な情報または再現性の薄い検証を基に墓穴を掘って来た」
ということである。
悪くいえば、「目立とう精神が強くスタンドプレー」、良くいえば、「人の話を信じやすく正義感が強い」ゆえの行動だったのかもしれない。
しかし、政治家としては、ちょっと軽率な行動を取り続けてきた議員生活に見える。

ただ、永田氏をテレビで見る範囲においては、傍目には熱血漢があふれ、行動力がある人物に映っていた。
永田氏の騒動になった一連の発言になる前の情報を民主党内でもう少し精査する仕組みはなかったのだろうか?と思う。
うまく永田氏の行動を民主党が管理できていれば、政治家として面白かったと思うが、偽メールで「ジ・エンド」となってしまった。
騒動のレベルは全く違うが、同じ民主党の若手議員でも、山本モナ氏との路上キス騒動のあったH代議士が現状は何事もなかったかのように活躍している姿を見ると、永田氏もなんとかならなかったのかな、と思う。
それにしても、なんだか、最後はあっけなく、さびしい結末である。

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