この番組は、「日本各地のその土地だけで行われている風習を紹介する」のが主な内容だ。
眺めている時に紹介された都道府県は、北海道、石川県、高知県。
それぞれの風習は、
「北海道では、大みそかにおせち料理を食べる」
「石川県では、鏡餅が紅白になっている」
「高知県では、角松が紙で出来ている」
レギュラー放送でも、この番組は何度か見たことがあるが、
・街角インタビューの人が揃いも揃って紹介される風習を当然と思っている
・他県代表のゲストが、紹介された風習を大げさに驚く、または小馬鹿にする
のがちょっと演出臭いなぁ、と常々思っている。
他県代表のゲストはタレントだから、「大げさに驚いたり、ちょっと紹介された県を馬鹿にしてイジる」ことをしないとテレビ番組として面白くないことを分かっているから、そういった行動を取るのは当然である。
しかし、街角インタビューの「素人さん」は「こう発言してください」と仕込まれているか、「番組的に都合のいい発言だけを編集している」と思えるようなものが多い。
そんな特徴はあるが、素直に見るとすると、
・これだけメディアが発達した時代なのに、風習の違ってあるんだなぁ
・自分たちの風習が「当たり前」と思っているんだなぁ
ということに気づく。
このことから、「自分自身が持つ日常の当たり前=常識」は「家族や親せき、近所、地域」によって作られるんだな、とわかる。
そう考えると「社会人(職業人)の常識」は「職場や企業内での当たり前」から作られていると想像できる。
つまり、「自分や周りの人たちのしていることが当たり前=常識」「自分たちや周りの人たちの感覚が標準=常識」というのは、もっと広い視野で考えてみると、結構、不安定で不確実なものなのだ。
麻生首相など2世議員、世襲議員の「世間感覚との温度差」が指摘され、問題視される昨今であるが、「周りに見守られた敷かれたレールの上」にいる限りは、自分の身の回りのバイアスの掛った出来事や情報が「常識」であり「普通」に感じるのは当たり前なのだろう。
仮に、知識として「違う世界」があることを知っても、実感としてはわかないと思う。
話を、冒頭の「ケンミンSHOW」に戻すと、私の両親は長野出身であるが、おせち料理は、大みそかから食べていた。
だから、「年越し蕎麦」の意味が幼少の頃はわからなかった。
なぜなら、大みそかは「お年取り(大晦日に年を取ることを祝う儀式)に御馳走が並ぶのに、何故、わざわざ年越し蕎麦を食べる必然性があるのか?」と。
年齢を重ねるにつれて、「年越し蕎麦は、大みそかまで忙しく仕事をしている人が、ゆったりとした新年を迎えるために、バタバタと大みそかまでに仕事を片づけて、ようやく口にするの食事」という意味だとわかった。
石川県の「紅白の鏡餅」は意外で、「鏡餅製造大手の越後製菓」が石川県向けの紅白の鏡餅を作っているのは、へぇ~、だった。
しかし、高知県の「紙の角松」は別に高知県独特ではなく、多くの県や地域で実施されているのではないかと思う。
それにしても、特番のケンミンショーは演出せざるを得なかったんだろうな、と思う。
VTRを作る時は、当然お正月でないから、おせち料理にしても、角松にしても11月か12月に用意して「お正月を再現」したのだから。
まさか、昨年からの企画で「VTRは昨年のお正月に収録しました」ということはあり得ないだろう。
「バラエティ番組だから仕方がない」と思うべきなのか、バラエティ番組と言っても情報番組なのだから「VTRの映像はお正月を再現して撮影しました」とテロップを入れるべきなのか。
どちらなんだろう??と思う。
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