定期審査のサンプリング対象にした部門にインタビューをすると、ちゃんと前回審査の指摘を部内で検討しているし、その他にも審査を通じて気づいた知見や日常業務の中からさまざまな改善をされるなどしっかりフォローされていた。
フォローをしっかりやる理由は、
・指摘の意味を真摯に受け止めている
・真剣に自分たちの業務のためにならないか熟考している
・次回の審査で改善の余地をきっかけにした不適合指摘をもらいたくない
・改善の余地の部分について何も検討せずに、審査で嫌味をいわれたくない
・上司がISO思考について理解がある
・上司が、日常業務の中で、ISO思考で部門運営をしている
など「自主的&前向き」「意地やプライド」「外圧や内圧」といった動機があるだろう。
フォローが「自ら進んで」か「組織内外からのプレッシャー」なのかは別にして、しっかりした会社は、審査時のコメントはもちろん、日常業務の中で得られた情報から、どんどん会社の役に立つ改善をしている。
一方、そうでない会社に審査に行くと、審査員としてはどうしてもがっかりしてしまうが、最近では「組織が少しでも“聞く耳を持って“改善したい!”という気持ちがなければ、審査員がひとり力(りき)んで審査をしてもしょうがないのかな。気づく態勢になるまで気長にお付き合いをして行こう」とちょっと冷静になっている。
イメージとしては「マッサージ」。
整体師さんや施術師さんのカウンセリングを受ける中で「マッサージは、一過性で身体が楽になり、癒されるだけで本質は体質や生活習慣を変えなければダメ」と気づく。
だけど、日常に追われ体質改善しないまま、またマッサージを受けに行き、日常の生活を反省する。
本質的には、肩こりは改善されないけど、その時は、ちょっと癒された感じになる。
つまり『審査とは、気づき、癒され、生活改善のきっかけとなるマッサージみたいなもの』だと。
そして、コリが溜まりまくった定期審査時に、またほぐし、問題点や改善領域を示す。そんな感じが「多くの企業において審査員が審査を通じて伝えられる限界であり、現実なのかな」と思う。
そう考えると、審査員は「こいつの話は聞きたくない」「受審者を構えた行動や言動にさせてしまう」というオーラがもともと出ている人はなってはいけないし、生理的に不快さを感じる受審者と遭遇しても、仕事としてはそれを感じさせるようではプロではない。
以前、名古屋でタクシーを利用する機会があった。
その時のタクシー利用は、運賃に換算して1,000円程度の近距離だった。
乗車してから、「なんだかいつもと違う」雰囲気に包まれた。
「・・・なんだろう。。。?」
その理由は、運転手さんがルームミラー越しにちらちらと私を見ているせいだ。
思い切って運転手さんに話しかけてみる。
「今日は暑くなりそうですね。運転手さんは早番ですか?」と、まったくどうでもいい会話だ。しかし、どうでもいい会話だけに、この受け答えで、日常どんな感じでお客さんに接している運転手さんか分かる。
すると運転手さんも意を決したように、こちらに話しかけてきた。
運転手さん「お客さん、もしかして監査員ですか?」
私「・・・(えっ、なぜISOの審査員をしていることを知っているんだろう?? ISO審査員という職種も世間に認知されてきたのかな?などと考えつつ)はい、そうですが、よくわかりましたね」
運転手さん「やっぱりそうだ、乗車するなりメモをされていたし、距離も近くもなく、遠くもなくの距離だし、・・・(目的地に到着し、支払いをしながら)ぜひ、よろしくお願いしますね」
私「(はぁ??)どうも。。。」
タクシーを降りてから気が付いたが、どうも私は「タクシー会社が顧客満足度調査や業務チェックの目的で雇った“覆面調査員”や“モニター監査員”」か何かと間違えられたようなのだ。
だから、運転手さんは最初、なんとなくぎこちなく、こちらの様子をちらちらと窺っていたのだ。私が乗車するなり、メモしたり、車内を見渡すような素振りをしたから、「監査員」と勘違いされたんだろう。
「刑事は、普段から人を観察しているから目つきが悪くなる」といわれるし、コールセンターに勤務する知人が「母親から掛かってきた電話なのに、つい丁寧語や敬語がでてしまう」と言っていたことを聞いた事があるが、私もつい「監査員っぽいふるまい」を自然にしてしまっていたのかもしれない。
職業病かもしれないが「相手に、普段どおりの態度や気持ちではなく、緊張感を持たせて仕事をさせちゃうようじゃ、まだまだダメだなぁ」と思った次第である。
(月刊アイソス2009年1月号「審査員の本音」第10回より)
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