2008年10月28日の早朝、いつかこの日が来ることはわかっていたけど聞きたくないニュースが飛び込んできた。
2000年のシドニー五輪女子マラソンで、日本陸上界64年ぶりとなる金メダル(日本女子としては初)を獲得した高橋尚子選手の現役引退表明である。

2008年3月24日に、都内の記者発表会での席で、2008年11月の東京国際・2009年1月の大阪国際・同年3月の名古屋国際と、国内3大女子マラソンへ3レース連続で出場する事を表明し、ここ最近では練習用にトライしたアメリカでの3つの市民マラソンで勝利(タイムは3時間を超えている。距離がフルマラソンではないレースもある)していたから、またQちゃんの雄姿が見られることを期待していたので残念だ。

引退会見の冒頭で高橋選手は、「本日をもちまして現役引退を決意しました」と、引退を宣言し、その理由を、「『プロ高橋』として、堂々と皆さんの前に出せる走りができなくなった」と表現した。
つまり「最初から優勝が無理だと分かっているなら引退します」という「トップアスリート」としてのこだわりがあったのだろう。

では、なぜ「プロ高橋」としてのパフォーマンスができなくなったのか。
外野の素人考えとして、原因は突き詰めるところ、
「チームQの体制とプロとしての責任感」
に尽きると思う。
つまり
1)「チームQ」という体制でみんなの生活を支えている
2)スポンサー契約(2009年5月までの4年間)しているファイテンに対する責任
3)2005年5月9日に小出義雄監督との師弟関係解消後は指導者がいなかった
ことが、「予定していた大会直前の調整ミス」、「不調な状態でも出場せざるを得ない事態」、「年齢的な体力の衰えに対する適切なトレーニングが積めなかった」などにつながったのだと思う。

小出監督が高橋選手を語る時に「かけっこが何よりも大好きな子」と表現しているが、それは「信頼する指導者の指示をひたすら信じて走ることだけにただ集中できたから」であり、「自分自身の判断と責任感で走るようになってからは、そのプレッシャーから、走ることがつらかったのではないか」と思う。

高橋尚子選手の状況をチームQの側近以外で最も高橋選手の「異変」を察知していたのはアシックスのシューズ職人である三村仁司氏ではないだろうか。
三村氏によれば、シューズを調整するポイントは8つで、
1)フィッティング
2)軽量性
(フルマラソンで片足30グラム重いと消費カロリーは約780カロリー増える)
3)通気性
(靴の中の温度は40度近くになるのでマメができないようにする)
4)着地してからの屈曲性(高橋選手は左右の足の長さが違う)
5)クッション性(衝撃吸収性)
6)路面状況
7)気象条件
8)選手の体調
なのだという。
三村氏によると、高橋選手はトレーニング具合によって体重の増減が激しく、その度に足のサイズが変化するのでレース前のトレーニング中に何足も靴を作るそうなのであるが、今年は全く体重が変化しなかった(足のサイズが変化しなかった)のだという。

私は、高橋選手の生の走りを一度だけ見たことがある。
それは、2000年7月の札幌国際ハーフマラソンである。
シドニー五輪が9月開催だったので調整用に出場したのであるが、当時のハーフマラソン世界記録保持者のマイヤーを破り、圧巻の走りで優勝した。
札幌駅前通り(川中スポーツ前で観戦)をあっという間に駆け抜けていく姿はいまでも目に焼き付いている。

個人的に、高橋選手について、一番「印象に残っていること」と「残念なこと」は、
「1998年12月6日のバンコクアジア大会での走り」(気温30度、湿度90%)
「世界選手権に出場しておらず、優勝していない」
ことである。

「プロ高橋」は引退したが、ファンとしては市民マラソンで身近なQちゃんを見てみたい。また、市民ランナーとして、「プレシャーが掛からない」、「走ることが楽しい」という原点に戻った状態で、「フルマラソンをなんとなく走ったら、2時間半で走っちゃいました」というミラクルもまだまだ見せて欲しいなぁ、と思ってしまうのである。

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