今年の4月に癌が発覚して、7月に仕事復帰したが、死の2週間ほど前に再入院してそのまま帰らぬ人となった。
報道によると、7月12日付の公式HPでは4月に腰痛の検査で癌が発見された時の心境を「一瞬何が何だかわからず、全てが止まった」「私は腰の手術で入院したのだ。そんなバカなウソだろ」などとつづり、最近では「私は負けない、絶対に負けない」「私は絶対に負けません、癌なんかに…!!」と不屈の意気込みを示していたという。
4月に癌が発覚してからは、治療にも必死で、抗がん剤や放射線治療、「癌にいい」と言われる温泉での湯治などあらゆる方法を駆使して闘っていたそうだ。
亡くなった峰岸さんの過去を掘り返すようで批判もあるかもしれないが、私の中で峰岸さんといえば、
・若くして不慮の事故で亡くなった銀幕スター赤木圭一郎さんの再来
・人気絶頂時に自殺(1986年4月8日)したアイドル歌手岡田有希子さんの自殺要因疑惑
のイメージが強い。
峰岸さんはテレビドラマ「禁じられたマリコ」(放映は1985年11月5日~)で当時人気絶頂の岡田さん(当時18歳)と共演した。
岡田さんの自殺の真相は今でも闇の中であるが、当時は「仕事に疲れていたのでは」「恋愛に悩んでいた」「妊娠していたのでは」など憶測が飛んだ。
そうなると、「相手は誰?」ということになり岡田さんと共演した峰岸さん(当時42歳)に取材陣が殺到した。
個人的には、私は岡田さんと同学年なので「やけにオッサンと付き合っていたんだね~」と少々やっかみの気持ちで取材を眺めていたし、取材でも「(女優業に慣れていない岡田さんを)妹のように接して(アドバイスしたり励ましをしたりして)いた」と言っているのを聞いて「24歳も離れた異性を妹のように捉えられるのか?」と不思議に思っていた。
しかし、取材で誠実で真摯に対応している峰岸さんをみて好感が持てたのも事実だった。
今、当時の峰岸さんの年齢に近づいたわけであるが、この歳になって20歳以上年が離れている友人を「妹のように」とか「弟のように」という捉え方が全然問題なくできる自分がいる。
きっと峰岸さんも、岡田さんはどのように捉えていたのかわからないが、きっと親身に同業者の先輩としてアドバイスを当時、していたのだろう。
「その時の自分の経験や価値観でものごとを判断したらいけないなぁ」とつくづく実感した次第である。
峰岸徹さんのご冥福をお祈りしたい。
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