以前からコンサルティングを依頼されている比較的大規模な組織の定期訪問にお伺いしたときのこと。
その時の定期訪問では、直前に控えたISOのサーベイランス(定期審査)に備えた活動状況や提出する書類のチェックを依頼された。

「審査のための準備」は、日常から普通にやっていれば不必要なはずなので、考え方としてはあまり好きではないが、「審査のタイミングごとに日々取り組んでいることに見落としがないか点検する」と考えれば、それなりの意義もある。
サーベイランスで審査のサンプリング対象になっている部門にインタビューをすると、なかなか、ちゃんと前回審査の指摘を部内で検討しているし、その他にも審査を通じて気づいた知見や日常業務の中からさまざまな改善をされるなどしっかりフォローされていた。

フォローをしっかりやる理由は、
・指摘の意味をとりあえず真摯に受け止めている
・真剣に自分たちのためにならないか熟考している
・改善の余地をきっかけに不適合指摘をもらいたくない
・改善の余地の部分について何も検討せずに、審査で嫌味をいわれたくない
・上司がISO思考について理解がある
・上司が、日常業務の中で、ISO思考で部門運営をしている
などがあるでしょう。

フォローが「自ら進んで」か「組織内部のプレッシャーから」かは別にして、しっかりした会社は、審査時のコメントはもちろん、日常業務の中で得られた情報から、どんどん会社の役に立つ改善をしている。
そうでない会社に審査に行くと、審査員としてはどうしてもがっかりしてしまうが、最近では「組織が少しでも聞く耳を持って“改善したい!”という気持ちがなければ、審査員がひとり力(りき)んでもしょうがない」とちょっと冷静になった。

例えれば「マッサージ」。
整体師さんや施術師さんのカウンセリングを受ける中で「マッサージは、一過性で身体が楽になり、癒されるだけで本質は体質や生活習慣を変えなければダメ」と気づく。
だけど、日々に追われ体質改善しないまま、またマッサージを受けに行き、日常の生活を反省する。
本質的には、肩こりは改善されないけど、その時は、ちょっと癒された感じになる。
つまり『審査とは、気づき、癒され、生活改善のきっかけとなるマッサージみたいなもの』だ。
そして、コリが溜まりまくったサーベイランス時に、またほぐす、そんな感じが「多くの企業において審査員が審査を通じて伝えられる限界であり、現実なのかな」と思う。

そう考えると、審査員は「こいつの話は聞きたくない」というオーラがもともと出ている人はなってはいけないし、生理的に不快さを感じる受審者と遭遇しても、仕事としてはそれを感じさせるようではプロではない。

自らを「私はあなたと違って客観視できるんです」と言い切った福田総理には「他人ごとオーラ」っていうものがある。
実際に会ったことがある人に聞くと、現実の福田総理はテレビよりもさらに周りが凍りつくぐらいの「他人ごと&クールなオーラ」が出ているらしい。
坊ちゃん育ちゆえ、人の痛みや他人の感情、一般人の生活感を想像できないからそうなるのであろうか。
それにしても、人が持つオーラってどうやって形成されるんだろう、と思う。
(※ 自分を変える“気づき”ロジカルシンキングのススメ メルマガ89号より)

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