案外、このコラムについては、感想を寄せてくれる人など反響が高かった。
感想コメントとしては、
1)「気づき」を得るには、日々反省する気持ちが大事ですよね
2)「前向きな姿勢でものごとを捉える習慣」ってなかなかできないけど実践してみたいと思います
3)「かけてほしい言葉を言ってくれる人」からは気づきをもらうことがありますが何故なんでしょう?
というものだった。
3)の「かけてほしい言葉を言ってくれる人」のコメントについては、ちょっと考察してみる必要があるな、と思ったので次のように考えてみた。
その1:「“かけてほしい言葉を言ってくれる人”とは相互浸透している」
“かけてほしい言葉を言ってくれる」と感じている側の立場でいえば、
・何でも話しやすい、すなわち、相談しやすい
・自分が話をすることで考え方が整理できる、すなわち、気づきを得ることができる
・“かけて欲しい言葉”には、その人の考えに対して肯定も否定もある
・肯定または否定意見でも、わかりやすいし、納得する
・“かけて欲しい言葉を言ってくれる人”には信頼感がある
などの状況や状態ではないかと思う。
つまり、「何でも話せる」から相手は「信用してもらっている」と感じ、「話したことに対する意見が適切」だから「もっといろいろなことを聞いてみたい」「また相談してみたい」となり、「胸を広げて包み隠さず話す」から「相手も必死になって伝えよう」となり「相談した人は、相談した相手が話す言葉の不十分な部分も意味を読み取って理解できるようになる」。
「話が納得できるし理解できるから、話を聞いているうちに自ら新たな気づきを得る」そして「信頼関係がさらに増す」「互いの創造性を向上させる」から「一緒にいて心地よく、落ち着き、精神的に健全な状態が作られる」と言うようなメカニズムではないだろうか。
その2:「ビジネスの世界では自分が不利にならない話し方をする」
ビジネスエリートといえる人は、「自分は謙虚な方」と思っていても、なんだかんだいって、「自信家」だし「プライドが高い」と思う。
それは、ビジネスの経験の中で「自分が不利な状況を作ることは得策ではない」という体験を常にしてきているからだと思う。
英語圏の人はミスをしても「アイムソーリー」とは滅多に言わない。
つまり、「自らに非がある」と認めたことになるからだ。
明らかなミスでも、最終的には謝るにしても、必ず理由をつける。
つまり、ビジネスエリートの人の多くは、人と話をしていても、極端な場合、雑談であってもプライドが高いせいか、突っかかってくる。
たとえば、先日こんな会話があった。
その方は、野球は普段見ない人なのであるが、高校野球か星野ジャパンの話題になったときに「ストライクかボールの判定は判断基準が明確だけど、ヒットか2塁打かは記録員の判断だから基準は明確に決まっていないのですか?」と言われた。
私は内心「野球はタイムを争う競技じゃないから、判定する人の主観はある程度入るし、確かに、野球を普段見ない人からすれば、ヒットか2塁打かの方があいまいな基準に映るかもなぁ」ぐらいに軽い“気づき”を感じていた。
ただ、質問されたから、「一応、ヒットか2塁打かの基準は、これこれこうで、あるんですよ」と説明した。
つまり、雑談での質問は「ルールとして基準があるかないか」だと思ったからだ。
しかし、「それじゃ基準じゃないですよ、あくまでも記録員の判断だし・・・」という。
要は「話のすり替え」だ。
「なるほど、ヒットか2塁打かの基準はあるんですね。だけど、その基準って、あいまいなんですね」と話をされるなら、双方が「当たり前」と思っていたことや「おかしい」と思っていたことに対して「気づき」を得ることができる。
しかし、「それは××ですよ」と否定から入られると、前向きな議論(雑談)ができない。
つまり、自分の主張を基本線に考えて「自分の考えの正当性」を主張することを優先する話し方の習慣になっているから、雑談していてもまるで楽しくなかった。
「気づき」を得る習慣としては、つくづく「一歩下がって前向きに素直になって考える習慣」が大事であると感じた。
その習慣ができると、お互いを尊重しあうようになり、「相互浸透」しやすい状況ができる。
「気づき」を得るには、人間関係をどう作るかということも重要なのである。
(※ 自分を変える“気づき”ロジカルシンキングのススメ メルマガ85号より)
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