1965年8月11日生まれだから、42歳11か月。
大器晩成といえる偉業達成だ。
山本昌投手は、プロ野球投手の最高の栄誉である沢村賞を1度受賞し、個人タイトルも最多勝利3回、最優秀防御率1回、最多奪三振1回と獲得しているが、存在感はなぜか「常に2番手投手」のイメージが強い。
直球のスピードが140キロ/h未満であることから「剛腕投手」のイメージがないからだろう。
その他に山本昌投手のエピソードを列記してみると、
・最年長完投(42歳11か月。従来記録は毎日の若林忠志投手の42歳8か月)
・最年長200勝(42歳11か月。従来記録は横浜の工藤公康投手の41歳3か月)
・最も遅い200勝到達(プロ入り25年目。従来は工藤投手の23年目)
・常にチーム内で2番手扱い
⇒中学時代:控え投手
⇒高校時代:プロ入りのきっかけとなった神奈川選抜チームの投手として社会人チームに好投するが、選抜チーム入りは、県内No.1投手が高校選抜に選ばれたことによる繰り上げ。
⇒プロ野球:最多勝のタイトルを受賞しても、エースの称号は、今中、野口、川上投手らに与えられる。
・初勝利はプロ入り5年目と200勝達成投手24人の中で最も遅い。
・ストレート(直球)の球速は140キロ/h未満と遅い
⇒しかし、意外にも配球の約45%がストレート
⇒球の1秒間の回転数が52回転と球速が150キロ/hを超えるレッドソックスの松坂投手(41回転)、阪神の藤川投手(45回転)より多い。(つまり伸びのある球)
・自分で決めたことを徹底してやり抜く
⇒高校卒業までの3年間、毎朝8キロのランニングを欠かさなかった。
⇒遠征先の4キロのダンベルを持参してトレーニング
⇒プロ入り後、登板日前日夜の外出はゼロ。
⇒登板前日は12時前に本を閉じ、テレビを消して就寝。
などがある。
つまり、大記録を達成した投手の中では、才能に恵まれた天才型では決してない。
私たちが山本昌投手から学ぶことは、『常に進化していくんだ』という強い気持ちを持ち続けることである。
これが、山本昌投手が、最終的には成功した一番重要な要素であろう。
つまり、自分が「類まれな能力を持っている選手ではない」と認識できたから「野球に対しての取り組みにはウソをつかない。ウソ(練習をサボり、いい加減な行動をとる)をついたら必ずしっぺ返しが返ってくる」と考えることができたのだ。
「自分の能力を的確に把握して、自分が常に進化していくために何が足りなくて、何をする必要があるかを認識すること」が大事なのである。
(※ 自分を変える“気づき”ロジカルシンキングのススメ メルマガ84号より)
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