このドラマでは日本経済が成長期から成熟期に変化し、投資がグローバル化した現状において監査法人の役割の変化に着目しています。
つまり、経済成長期においては、会計士と企業の関係は、企業の多くも成長過程にあるので、ある意味「医者と患者のような関係」が成立していた。
つまり、「問題点を指摘し、企業を育てながら、一方では社会的に認められるチェックもする」という関係です。
しかし、経済が成熟し、投資家など株主、顧客の発言や意向(要求事項)が高まると、会計士は、世間一般からの「独立性や公平性、客観性と監査の厳格性」が役割として強く求められるようになった。
つまり、多少の問題には目をつぶり、「こうすればなんとかいいですよ」とささやきながら「異常なし」を社会に発信していくことはできなくなったのです。
このドラマの舞台となるジャパン監査法人の中に存在する「不況の影響を受けている企業に対して多少の粉飾は見逃すというこれまでの“ぬるま湯監査”派」と「一切の不正は認めない“厳格監査”派」の業務方針の対立やそれぞれの心の葛藤を描いています。
法律では「監査法人の業務範囲」として主に、
1)監査又は証明業務(34条の5本文、2条1項)
2)コンサルティング業務(34条の5第1号、2条2項)
3)公認会計士試験に合格した者に対する実務補習(34条の5第2号)
がある。
このドラマでは1)の監査について取り上げているが、そもそもの「会計監査」の役割から考えれば、後者の一切の不正を指摘する「厳格監査」であるべきでしょうし、投資家からすればそれが当然のニーズであるし、期待(要求事項)でしょう。
しかし、ドラマでは主人公の若手公認会計士が信じる「厳格監査」を社会正義として実行しても、
・粉飾の制裁を受ける企業や社員の心の痛み
・企業(食品メーカー)の粉飾問題を見つけだし、それが政財界を巻き込んだ大型スキャンダル事件へと発展
するなどあまりにも大きい「社会的な影響」に「これでいいのだろうか」と疑問を持つようになる。
おそらく、このドラマの残りの回では「日本一巨大なジャパン監査法人の崩壊」を描くのだろう。
ドラマの制作サイドが「金融や経済環境の激変動期の中で公認会計士が背負う理想と使命においてどのように“会計監査”という仕事と向き合えばいいのか」という「現状の苦悩の姿」を言いたいのか、それとも「ぬるま湯監査も時として必要」ということを言いたいのか「厳格監査にすべて移行すべき」と言いたいのか「監査方針はケースバイケース」と言いたいのか、現時点ではよくわからない。
ただ、こういった「悩み」は生じて当然だろう。
それは「監査法人の立ち位置」を「企業の立場」で捉えるか「投資家、監査対象企業の顧客、地域社会など市場の立場」で捉えるかによるからだ。
「マネジメントシステム認証監査」の世界でも同じような状況が生じている。
そのときのネックになるのが「誰から監査対価をもらっているか」と言う問題である。
投資家側からみれば、厳格監査をした結果は会計や業務上のスキャンダラスなリスクが少なく信頼性が高いが、企業からすれば法律論で一切をバッサバッサ監査されては、それはそれでたまらない。
そうなると「監査法人」の顧客(監査される企業)離れが進み、収益が大幅に悪化する。
ここ最近の上場企業の崩壊を見ても、「社会正義を振りかざした結果、喜んだのは投資家だけ」というケースが実は少なくないのではないか。
しかし、監査法人はその投資家からは1円も対価をもらっていない。
社会が「企業と言うのは関係する組織や社会と持ちつ持たれつ」と捉えるのか「法治国家である以上、厳格性あるのみ」と捉えるのかによるが、「監査対象組織から監査対価をいただく」という構造(スキーム)である以上、なかなか「こうあるべき」とは言い難いのが現状ではないだろうか。
【よかったらクリックお願いします♪】↓

ブログランキングranQ
企業家ブログ→http://www.kigyoukablog.jp/ranki.cgi?id=35