私が入学した東海大学海洋学部は、1985年まで、教養課程(1、2年)が沼津、専門課程が清水と分かれていた。
しかし、学校運営の効率化により1988年から教養課程と専門課程が清水に統一された。
ただ、1986年と1987年の入学生は校舎移転の端境期であり、地元との調整などもあり1年間だけ沼津で教養課程を学んだのだ。
その後、1988年から1990年までは沼津の校舎は使用されておらず、1991年からは新設された開発工学部の校舎となった。
ちなみに、正確な年度ではないが、確か1962年にこの学部が創設された当時は、教養課程が湘南、専門課程が清水にあり、その後、湘南にあった教養課程を1972年頃に沼津に移す端境期に札幌に教養課程があった時期もあったようだ。
「21年ぶりに母校の教室に入ること」になったのは、専門科目の「情報倫理」という授業に「飛び入り講師」として参加することになったからだ。
私がお邪魔することになった学科は「感性デザイン学科」といい2004年に新設された学科で、「快適、安心、楽しさなど人の感性に根ざした新しいモノづくり教育追求する」を目的としている。
つまり、大量生産型デザインから一歩先を見据えたモノづくり教育を目指しているのだろう。
「情報倫理」を担当している先生は高月義照教授 で、感性デザイン学科の立ち上げに深く関わった先生だ。
高月先生は、教養課程の先生としてでドイツ語や哲学を元々は担当されており、私は教養課程時代に哲学や人間学を教わった。
しかし、10数年前から「情報伝達の媒体としてのマンガ」を社会学的・文化論的視点から研究されている。その関係もあって、新学科設立の際に専門課程の担当に移られたようだ。
私が担当したのは「技術者倫理」の部分で、最近の企業不祥事を題材にして、「企業不祥事が発生するメカニズム」や「企業不祥事を考察する上で必要なものの見方・考え方」を中心に講義させていただいた。
当初、授業に出ているのは4年生が中心かと思っていたら、1、2年生が中心でみんなつい最近まで高校生だった平成生まれの学生さんばかりだった。
レジメを文字中心で構成したので、先生からは「学生は資料に画像が入ってないと飽きちゃうよ」と脅かされていたので、途中でエスケープする学生がたくさん出てきたらショックだなぁ、と思っていたが、なんとか授業の最後までお付き合いをいただいた。
その後、自分の出身学科の5つ上の先輩で衛生海洋学が専門の准教授をされている虎谷先生と合流し、学生相談室にお供して、訪問してきた学生さんの話を聞いたり、研究室で昔話を含めた意見交換をさせていただいた。
業務改善の基本である「3現主義(現場・現物・現実)」の話は、衛生海洋学の世界でもよく当てはまるそうで、衛生データはコンピューターの前に座っていれば入手できるから、どうしても机上で想像してしまう。しかし、例えば「北極海」というと水温がとても低いイメージがあるが、実際は12~3℃あることも多く、リアルな北極海での観測経験がないと、「このデータは誤りだ」と決めつけてかかってしまう事があるそうだ。
それにしても、山の上にある校舎なので「この時期特有の濃霧」は相変わらずだったし、校舎から駿河湾を望む景色は以前と変わらず健在だった。
講義では「社会人に出て必要な心構えを話して欲しい」とも言われていたので、自らの社会人経験を振り返って、この学生達向けの話をちょっとさせていただいた。
話しをすることで、自分が目指していく道ももう一度再確認できた気がした。
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