本を出版した時に「漢字をひらく」という出版用語?を教わった。
これは「漢字」を「かんじ」というように平仮名(ひらがな)にすることである。
「漢字をひらく」メリットは文章を読みやすく、やわらかく、堅くない文体にする効果がある。

今では、ワープロで原稿を書く人が多いから、案外難しい漢字は、書けなくとも知っていれば、原稿で漢字にできる。
しかし、それを敢えて平仮名にするのである。
論より証拠で、出版社の人に「常用漢字をフル活用した1ページの文章」と「普段はひらがなで表記されることもあるレベルにした文章」と「小学生が読めるレベルまで漢字をひらいた文章」のサンプルを見せてもらったが、同じ内容の文章での漢字のひらき具合によってかなり印象が違った。

例えば、個人的には「非常に・・・」というような用法の場合の「非常に」を私は漢字で書くことが多いが、最近の書籍では「ひじょうに」とひらいた表記の方が多くなってきているそうだ。

話は少しずれるが、「わかりやすくものごとを人に伝えること」を信条にしているので、基本的には「相手に伝わりやすい言葉」を使用することを、文章を書くときや日常会話では心がけているつもりである。
しかし、万人に通じる事を基本にしていると「どんどん平易な文章ばかりになるけどいいのかな」と思うこともある。

例えば、私は「アドリブのセリフでピンチを乗り越えないといけない時」に「まるで勧進帳的な世界ですね」という表現を会話で使う。
念のため付け加えると「勧進帳」とは、歌舞伎の演目のひとつで、

(以下ウィキペディアより引用)
源頼朝の怒りを買った源義経一行が、北陸を通って奥州へ逃げる際の加賀国の安宅の関での物語。義経一行は武蔵坊弁慶を先頭に山伏の姿で通り抜けようとする。しかし、関守の富樫左衛門の元には既に義経一行が山伏姿であるという情報が届いていた。焼失した東大寺再建のための勧進を行っていると弁慶が言うと、富樫は勧進帳を読んでみるよう命じる。弁慶はたまたま持っていた巻物を勧進帳であるかのように装い、朗々と読み上げる。富樫は通行を許すが、部下の1人が義経に疑いをかけた。弁慶は主君の義経を金剛杖で叩き、疑いを晴らす。危機を脱出した一行に、富樫は失礼なことをした、と酒を進め、弁慶は舞を披露する。
古くは、富樫は、見事に欺かれた凡庸な男として演じられていた(?)が、後に、弁慶の嘘を見破りながら、その心情を思い騙された振りをする好漢として演じられるようになった。
(引用ここまで)

というような内容だ。
私より上の世代の人に対してなら、この表現を使っても意味が通じるのであるが、下の世代にはまず通じない。
だから、結局、こういう例えは使わない。

世代の違う人と話したり、たくさんの本を読む事が「ためになる」のは、知らない言葉を覚えたり、教養を深める事ができる事が一番大きいのではないかと思っている。
しかし、理屈で考えると「相手に100%通じる言葉を使っているとどんどん世の中の文章レベルが下がる」と思う。

本や人との会話で、わからない言葉だらけだと、しんどいけど、ちょっとわからない言葉が飛び交っている時は、調べて覚えないと気になってしょうがない、というのが普通の衝動のような気がする。
しかし、インタ-ネットや電子辞書の普及で知らない言葉は調べやすくなったはずであるが、どうも「言葉を知らない」あるいは「世代間によって言葉が通じない」傾向が強くなっているような気がするのは気のせいであろうか。

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