江川氏のコラムでの主張は、要約すると以下のような感じだ。
・年の離れた男女には滅多に出会いの場がない
・出会いカフェのような存在はナンパが不得意な中年には貴重な存在である
・18歳以上の出会いの場の提供であれば、出会ってから何をするかは人それぞれ
・出会いカフェで金銭のやり取りがあっても、それは「悪」なことと言えるのか?
・法的に合法な「結婚」も「扶養」という金銭的な対価のやり取りがある
・ワイドショーのコメンテーターは「自分を安売りするな」と主張する
・「中身以上に自分を高く売れ」は恋愛と称して「年収や財産を条件に品定めする女性」を増殖させている
・セレブパーティの構造は「H目的の金持ちと財産目当てで寄ってくる女性」であり出会いカフェと同様である
・出会いカフェを摘発するなら「セレブパーティ」も摘発すべき。むしろ移動する金額が大きい分、タチが悪い
このコラムを読んだ時に、江川氏のキャラクターと自由奔放な普段の言動から「読者に伝わるように敢えて極端に表現している部分もあるのだろう」とは感じた。
しかし、特に「自分を安売りするな」とは逆にいえば「自分を高く売れ」、「出会いカフェもセレブパーティーも構造は一緒」の主張は「なるほど、その通りだよ」と。
今回の警視庁による「出会いカフェの摘発」は「男性が女性を店外に連れ出す時に交通費名目の金銭を渡していた」ことから「デートクラブ規制条例違反」と判断された。
法律論的にはそういう適用が適切なのかもしれないし、18歳未満の女性が見ず知らずの男性と容易に出会うことができるシステムは、倫理的にも問題があるだろう。
しかし、江川氏が言うように、このようなデートクラブで「18歳以上の女性」と「成年男性」が「無理矢理ではなく、本人同士の合意」の基に出会いが成立しているわけであり、国家が違法と言っている「売買春」の是非はともかく、その後どうなるかは「本人同士の自由である」と思う。
こういったニュースがあると「デートクラブはいかがわしい」「不特定多数の男女が集える場は不潔」など感覚的な評価に陥りやすいが、「価値観はそれぞれ」であり、まずは理屈で考えるべきだろう。
話は変わるが、江川氏は「時流をデータからつかみ、漫画を“商品”として捉えている漫画家」と言われている。
ヒット作を連発するその思考は「売れる漫画の理論」を作り出し、読者アンケートの人気結果を分析し、「どういう展開をすれば人気が出る(人気が下がる)」かを研究していたという。
「感覚的・感情的な感性だけに頼らずデータをもとに本質を考える人」は時事問題を捉える視点も違うなぁ、と思うのである。
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