ダイヤモンド社の並木浩一編集委員が「大卒はもはや死語。もう十分な学歴ではない」というコラムを書かれていた。

コラムを拝見すると、
・大卒という言い方は死語に近く、学部卒がというのが主流
・大学教育の階層では、学部は大学院の下
・大卒(学部卒)は昔の高卒に等しく、価値は急激に目減りしている
・こうした事実(学部卒の価値の暴落)をマスコミは書かない
・マスコミが書かない理由は、マスコミの人間の多くが学部卒だから
・日本の従来のエリート像が学部卒
(例:東大法学部在学中に国家公務員Ⅰ種と司法試験合格して大蔵省入省⇒早熟な俊英を青田刈り)
・現在ではメーカーの研究職は修士以上が当たり前
・法科大学院制度では弁護士、検事、裁判官のすべてが「法務博士」を持った大学院修了者になる
・現在は、大学教員の条件も修士号以上が通常
・実務家教員を必要とする専門職大学院では教員の資質が文科省のアセスメントで問われる(例:学部卒が大学院生を教えることの有効性)
というようなことを主張されていた。

並木編集員の主張は、現状から見ればその通りだろう。
正確な数字は調べていないが、進学率で考えると現在は、高校進学率は9割以上だし、大学進学率も5割を超えている。
これが40年ほど前の団塊の世代だと、それぞれ2~3割低いだろう。
つまり、高度経済成長期にあった当時の産業界の状況や就職状況、一般世帯の経済状況など社会的背景も進学率には大きく影響するだろうけれど、感覚的には明らかに「日本の学習レベルが底上げされた」と見るより「本来、学習レベル的に中卒、高卒であった層が高卒、大卒となった」と考えたほうが妥当かもしれない。
そう考えると、大学院修了者といっても「昔の大卒レベル」も多く含まれているだろう。

確かに社会は「実務者」を求めている。
それは、メーカーの研究職や難関資格取得者が従事する職種で特に要求されている。
そのために、採用基準や資格基準が「大学院修了者や専門職大学院修了者」と限定されてきているのだろう。
しかし、本質的なところで大学院修了者の能力の優位性が社会で認められなければ、「現在の大卒は昔の高卒」「現在の大学院修了者は昔の大卒」と十把一絡げでくくった評価はできないだろう。

【よかったらクリックお願いします♪】
ブログランキング・にほんブログ村へ
ブログランキングranQ
企業家ブログhttp://www.kigyoukablog.jp/ranki.cgi?id=35