「悪法も法なり」という格言は、確かソクラテスの言葉だと記憶しているが、これはたとえ悪法であっても、法律にはかわりなく、国民(企業)はそれを順守しなければならないという意味である。
法律を作るときには、イメージする前提や想定をもとに作成するから、はじめから悪法を作るつもりはなくともを、作成時点でイメージする前提や想定から外れるケースはあるから、立場によっては都合の悪いケースが出てきてしまうだろう。
しかし、この法律は「悪法」だから守らずに無視してもいいと言い出したら、「社会」は混乱する。

かつて、証券取引法上の解釈ではグレーゾーンになる部分を徹底的に利用して急成長した誰もが知っている企業があった。
しかし、その企業がどうなっているかといえば、世間からは叩かれ、現在はかつての勢いを失っている。
つまり、企業が法律を順守するのは当たり前。しかも、法律上グレーな部分について世間の理解が得られる範疇で解釈するのが安心で信頼感のある真っ当な企業と言えるだろう。

さらに、昨今の企業不祥事を見ていると、食べ残し料理の使いまわしに代表されるように「法律には抵触せずとも、一般的な社会の常識やモラルを無視」してニュースで大々的に取り上げられるケースも多い。
つまり、世間から信頼される企業と言うのは、法規制は当然のごとく、モラルや常識に照らし合わせ、組織で規定した社内ルールに従って業務活動を行なっている組織という事ができるだろう。
言い換えれば「社会の顕在および潜在的な要請に適用すること」(コンプライアンス)が真っ当な組織なのだ。

「社会の顕在的な要請」は法律で明確になっている部分、「社会の潜在的な要請」は、例えば、「安全な食品を供給して欲しい」、「良質で歪曲のない報道をして欲しい」という世間の暗黙の要求やニーズ若しくは期待であり、業務上の義務的事項とも言えるだろう。
ただ少し厄介なのは、「社会の潜在的な要請」は時代とともに変化することである。
したがって、組織は常に顧客や社会の声を継続的に監視し、的確に捉えて対応していくマネジメントシステムが必要である。

ちなみに、企業不祥事が発生する組織の体質を、最近の事例から探ってみると、
(1)上層部が絶対的な権限を持っている
(2)自己中心的な幹部や職員が多い
(3)組織のブランドにおごっている
(4)過去の栄光・ビジネスモデルにしがみついている
(5)秘密主義・隠蔽体質(問題発生させた人を執拗に責める)
(6)同族経営
(7)消費者利益よりも組織の利益優先
(8)マネジメントシステムが脆弱
という傾向がある。

もちろん、仕組み(マネジメントシステム)があればコンプライアンスが必ず順守されるわけではないが、少なくとも仕組みが無く、組織要員に理解された業務運営がなされていない組織は世間から安心や信頼感をもって捉えられることはないだろう。
(※ 自分を変える“気づき”ロジカルシンキングのススメ メルマガ74号より)

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