インターネットのJ-CASTニュースで精神科医の和田秀樹氏が人気ドラマ「ごくせん」について雑誌のコラムに書いた記事がネットで議論を呼んでいるという報道がされていた。和田氏の主張は「秀才学校の生徒の方が不良より性格がねじ曲がっているように描かれている点」を取り上げ「不良少年や不勉強を正当化するな」ということらしい。

この記事は、2008年5月22日発売の日経アソシエに掲載されていたもので、私は、たまたまこの雑誌を購入(ロジカルシンキングの特集号だったので)していたので和田氏の記事を読んでいた。
読んだ時は、ふーん、ぐらいにしか捉えていなかったが(要は、正直流し読みしていました)、話題になっているというので、再度雑誌を読み返してみた。

主張を整理すると、
1)「勉強をしている子の方が、不良よりはるかに安全」
2)「『秀才=悪』『不良=心はきれい』という図式は、ある種の青春ドラマのステレオタイプのようになっている」
3)「勉強できない子が『人間性がしっかりしていればいい』と勉強しないことを正当化してしまうこと」
4)「優等生に悪いやつがいるというのは、確率論の問題です。悪いやつもいればいいやつもいる。しかし、子どもに勉強させた方が、犯罪者の比率が低い、確率が高い」
というようなことを述べている。

上記に関して、個人的には、確かに1)、4)は現実社会でのデータからはっきりしていることなので、ドラマでの設定は「リアリティ」がないという和田氏の主張は理解できる。
また、2)のような図式は「お約束どおり」だし、3)のように、子供が不良や勉強ができない事を正当化してしまうでような風潮に繋がるとしたら、それは問題だ。

ただ、和田氏の主張のひとつである「『秀才=悪』『不良=心はきれい』という図式」は「ごくせん」のある一話を取り上げてものである。
また、現実として「勉強ができないことを正当化する風潮」は、
全国webカウンセリング協議会理事長の安川雅史氏の以下の言葉を借りれば
(J-CASTニュースより引用)
「ごくせんは、最後は正義が勝つという設定です。しかし、秀才そのものが悪いとは言っていません。秀才でも悪いことをやっている子は、最後にやっつけられるというストーリーで終わっています。ですから、子どもたちも、重く受け止めないで、スカッとする番組として見ているのでは。(中略)影響を受けているのは、思い込みの激しい子だけだと思います」
つまり、世間の多くの人は、水戸黄門の「この印籠が目に入らぬか」的に「仲間さんの教え子を守るアクションシーン」を予定調和として楽しんでいる要素のほうが大きく、「現実とは違うドラマの世界」と捉えていると思うのだ。

ちょっと情緒的な感想になるが、和田氏は灘高→東大医学部という典型的なエリートコースを歩んでいる。
だから余計に「秀才が悪事をはたらく」というこの回のドラマの設定は琴線に触れたのかもしれない。

話は変わるが、「ドラマのリアリティ」といえば、以前は「ありそうでない話」または「なさそうである話」がドラマのスジの基本のようだったが、最近のドラマは「なさそうでない話」がヒットするという。
つまり、「ドラマを通じて人生を考える」といったような深刻さはなく、ドラマはあくまでも「ドラマの中だけの話」として気楽に見ている人の方が多いのかもしれない。

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