「例え話」をひとつ。
ある人がゴミを減らすためにどうすればいいのだろうと考えた。
その人は独身生活だったので、コンビニのお世話によくなる。ゴミの分量を調べてみると、どうもコンビニから購入したものの不要な容器や包装用紙、ペットボトルなどが多い。
ゴミを捨てるにもお金が掛かる時代であるから、「そうだ、コンビニで商品を買ったものでゴミになるものはコンビニのゴミ箱に捨てよう」と。
すると、その人の家庭から出るゴミは減った。
めでたしめでたし・・・うっ、ん??。。。

例え話として、もちろん、適切でない部分があるのは承知である。
その上で、この「例え話」は「間違った環境活動をしている会社」をイメージしている。
今ではそういった考えは減ってきたようであるが、以前は環境マネジメント監査で企業を訪問すると「うちはゼロエミッションを目指しています」と言いながらこのような考え方でゴミの量を削減している会社は案外多かった。

人様の企業に監査で訪問して、あからさまな「教育」や「べき論」をするわけにもいかないが、放置するのも問題なので「ゼロエミッションの考え方は、廃棄物を出さない製造技術を開発したり、企業で排出される廃棄物を、別の企業の原料として使うなどして、世の中全体で廃棄物をゼロにしようというものなんですけど・・・」ということをよく暗に示唆した。
つまり「自分のところで発生したゴミを他社に移しただけでは社会のトータルでは全く減っていないんですよ。コンビニの話で言えば、会社で『仕出し弁当にして弁当ガラを削減する』とか『手作りお弁当デーを設定して弁当ガラを削減する』などコンビニ弁当の利用を減らす生活習慣に関する施策が必要じゃないですか?」と。

あるとき、このような話を講演会でしたら、講演後に参加者を見送っている時にある女性の参加者から「あなたは“コンビニで買って発生したゴミをコンビニのゴミ箱に捨てる会社があることを批難していた”が、弁当がらなどのゴミを始末するのは売ったコンビニの責任ではないですか?講演の話題として取り上げて(冗談めかして)話すことは不謹慎です」と真顔で抗議された。
もちろん、コンビニにイートインのようにコンビニ店内に客席がある場合はそうであるが、一度会社なり、自宅なりに持ち帰ったものの廃棄物の処理責任はコンビニにはない。

その場で論争しても、適当でないと思い「(気に障られたのなら)失礼しました。気をつけます」と回答したが、こういった認識が、家庭ごみがコンビニや公共のゴミ箱に捨てられる現実になっているんだろうな、と思う。
この話に関わらず、認識が誤っていたり、理解できない人に「こうしましょう」「こういうことはダメですよ」と伝えても信条として「正しい」と思っていれば、ある意味確信犯(信念に基づき、本人が悪いことでないと確信してなされる過ち)であり、何を言ってもムダだ。
分別が理解できる年齢になってからの教育は「こうしなさいの本質」を教育しなければ意味がないんだよな、と実感したのである。

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