老舗書店の「旭屋書店」銀座店が4月25日に、水道橋店が6月に閉店するという。
サラリーマン時代は、銀座店は仕事やプライベート上も交通の便がとてもいいのでよく利用させていただいていた。
私自身としては、本の購入量は全く減っていないが、購入する場所はリアル書店からネット書店を利用するケースが増えたし、いまどきの若者は本代がゲーム代に変わっているそうだから、これからも「老舗本屋さん」の閉店はあるのかもしれない。

それはともかく、本のタイトルで「品格」と付いている本が最近増えたなぁ、と思う。
すぐに思い浮かぶのは「国家の品格」(藤原正彦著)と「女性の品格」(坂東眞理子著)である。
その他にもアマゾンで検索すると「親の品格」(坂東眞理子著)、「自分の品格」(渡部昇一著)、「会社の品格」(小笹芳央著)、「男の品格」や「池田大作の品格」、「ヤマダ電機の品格」なんていう本も出版されている。

これらの本の多くは個人的には良書だと思うし、それらの本の中から多くの教示も得る事ができた。
しかし、漠然としていて言葉では表せないが、どこかで「品格」という言葉になんとなく引っかかるものがある。
もちろん、本のタイトルに「品格」と入れるのは「流行っていて、キャッチーなタイトルにしたい」という商業的な戦略だろうから著書というよりも編集者や出版社の営業が決めているのかもしれない。

「品格」に対するこの“もやもや”感を、週刊誌のSPA!に連載されているコラムニストの勝谷誠彦氏の文章を読んだ時に、「あっ、そうか」と思った。
以下に、勝谷氏の文章を一部引用させていただく。

(引用ここから)
「見識」という言葉が私は好きだ。「品格」という他人の目を意識した下品さではなく、何か問われれば答えるという謙虚さがそこにはあるからだ。
おさまりかえっていれば誤魔化せるのが「品格」であるとすれば、「不意に飛び込んできたものに対する反応で試されるのが「見識」だと私は思っている。(後略)
(引用ここまで)

確かに、私も「品格」に対してどこかでこのような認識で捉えているのかもしれない。
だから、「品格」に対して「何か引っかかって」いたのだろう。
勝谷氏の表現はちょっと刺激的だが「他人の目を意識した下品さ」(=品格)だけでは「不意に飛び込んできたものに対して適切な反応」ができない。
「マネジメントシステム」の本質も「不意・不測の事態に適切な判断力を発揮する管理能力」である。
つまり「物事を深く見通し、本質を捉え、ものごとに対して確かな理念」(=見識)を人や企業は磨いていく必要がある。
ホンマモノの「品格」はあくまでも真っ当な「見識」の上に成り立つものであり、表面だけの「品格」を装ってもそれでは実質的な意味はない。

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