コンサルティング先の「ISOマネジメントシステム規格を組織に導入している会社の管理責任者さん」と雑談している時のこと。
管理責任者から、
「当社の最大の問題点は、様式が使いにくいことです。うちの社員はそこそこISOが要求していることは理解して仕事をしていると思う。ISO導入当時にISOに適合するように作られた様式を業務実態に合わせて作り直せば、かなりよくなると思うんですが。。。」
と言われた。

ちなみに、その会社はISOを導入して5年程度経過するが、ISOが形骸化していた。
形骸化に悩む社長さんから「ちょっとうちの指導をお願いできませんか」と相談されて、指導をお引き受けしたのがつい半年前ぐらいだ。

私はその管理責任者に「う~ん。確かに“様式にどう書いたらいいのか”という本末転倒な理由で仕事がやりづらくなっている側面はありますよね。ただ、お言葉を返すようですし、厳しい言い方ですが“まだまだISOで要求されていることを若手社員を中心に日常の業務の中で無意識に実施している”レベルには到達していないと思いますよ」と言った。
管理責任者が「えっ?!」という顔をされていたので、「上達の過程」についてお話をさせていただいた。
「上達の過程」とはどういうことかというと、以前コラムで「上達」について以下のように書いた事がある。

(ここから)
上達の過程において「意識せずに、無心で、自然と」はまず無理である。
自動車の運転を例にとれば、免許を取得するまでが「上達の過程」と仮に位置づけると、その過程では「ブレーキはこれ、アクセルはこれ、踏切が見えたら減速する、前方6割後方4割ぐらいで前後の車の動きを見る、横断歩道を横切る時は歩行者に注意する・・・」などと交通法規から運転の基本動作まで教官に教わったことを頭の中でフル回転させて、つまり無心ではなく意識的に有心で技を使い続ける(練習し続ける)必要がある。
強烈なまでに意識的に練習を続けることであるときから無意識で技が使えるようになる。
したがって、上達の過程から「自然に、無心でやりなさい」と指導されて、実施しても「まともな技を創ること」はできない。
(ここまで)

つまり、私が管理責任者に伝えたかったのは「ISO規格を使って社員を育てたい、業務改善をしたい」と考えるのであれば、「ISO規格で要求されている事は、無意識に日常業務の中で結果としてやっている」というレベルに到達するまでは「意識的に、ISOの要求事項を認識して日常業務をやる段階」が必要なんですよ、といいたかったのだ。
「ISOを意識的に認識して仕事をする」とは例えば、
『書類を作成する』のであれば、
・どの職制の人の承認が必要なのか
・どのレベルの人にまで周知しておく必要がある書類なのか
・内容が陳腐化しないようにどういったタイミングで見直せばいいのか
・使用したら廃棄していい書類か
・保管しておく必要があるなら、保管年限は決められているか
・誰もが使いやすいような整理はされているか
・外部の人に開示してもよい書類か
・必要な部署や場所、人に配付されているか
などについてであるし、
『仕事ぶりをチェックして改善する』のであれば、
・仕事ぶりをチェックする方法は決めているか
・仕事ぶりをチェックする項目は決められているか
・効果をチェックするための基準は決めているか
・チェックしたデータを分析する方法は決めているか
・分析した結果は誰に報告することになっているか
などについて認識して、意識的に仕事をするということになる。

柔道に例えれば、「基本技」が習得できていない段階の人に、いきなり実戦形式の組み合った練習をしても、結果論として上達は遅い。
「体力がある」「センスがある」などにより、「ある一定のレベルまでの到達」はもしかしたら早いかもしれない。
しかし、「基本技が身についていない亜流」で技術が作られてしまい、それ以上に上達はしない、つまり頭打ちになってしまうのだ。

この会話を傍で聞いていた社長さんは「うんうん」と頷いていた。
「せっかく導入しているISOを最大限使いこなして経営改善に役立てたい」と願うならば、「認識して意識的に使う段階」を経て「特に意識せずに使える段階」があり、そこに仕事を通じてのさまざまな経験値やすでに確立されている分析手法や管理手法を学ぶことによって「業務を適切に改善していく段階」がある、ということを理解する必要があるのだろう。
(※ 自分を変える“気づき”ロジカルシンキングのススメ メルマガ65号より)

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