ISO環境マネジメントシステム規格の認証を取得しているある自治体の事務局部門の担当課長さんと雑談をしていた時のこと。
その担当課長さん曰く「当自治体はISOを取得して6年以上経過し、私が事務局を担当するようになってから1年半近くになった。担当事務局になってISOは市役所職員の誰もが認識・理解し、行動するための仕事のツールであると気づかされました。他の部門にいた時はどちらかというと斜に構えてISOを捉えていました・・・」旨のことを言われた。
つまり、事務局になって初めて真剣にISO規格や認証制度をちゃんと勉強し、規格の意図や効用を理解したというのだ。

「ISO的ものの見方・考え方」=「ISO思考」を仕事や日常の行動へ活用できると考え、推進している私としては「にんまり」する話しであるし、この類(たぐい)の話はよく耳にする。
つまりここからいえるのは、
1)事務局になるなど、自分が矢面に立ってはじめて真にISOを真に勉強する
2)逆に言えば、事務局以外の人はISOを勉強していない
3)通常の座学などで「ISO教育」を受講してもなかなか身に付かない
4)ISO要求事項と日常の仕事が結びついていないから真剣に学ぶモチベーションが上がらない
5)ISO担当部門の組織における地位が低く、その部署から指示されても真剣さが沸かない
6)ISO担当部門の価値を示す評価指標が設定しづらいためか、担当部門の地位がなかなか向上していない
7)組織はまだまだ「感情でものごとを判断する幹部」が多い
8)「声の大きい人」「目先の示しやすい利益を上げた人」が組織内で評価されやすい
9)ISO認証を出世など政争の道具としてしか考えていないとISOはうまくいかない
10)ISO思考浸透の鍵はコア人材の育成
など「たまごが先かにわとりが先か」的な部分もあるが、概ね上記のような事が言えるのではないだろうか。

これらは「想像」ではなく、さまざまな組織の審査やコンサルティングを経験し、見てきた現象から帰納的に導び挙げている。
わかりづらい点もあるので、例を挙げてみる。

【ISO認証を出世など政争の道具としてしか考えていないとISOはうまくいかない】
⇒上記9)について(関連項目上記5)~7))
導入目的や担当事務局が「真に組織の体質を変えたい」など「真っ当な気持ち」で取り組んでいないとでISOは真にまわっていない。
この状況として、
・ISO担当部門に精鋭が資源として投入されていない
→他部門が「ISOは重要度が低く、やっつけでやっている仕事としか捉えない」
→ISO担当部門の地位が上がらない
・「ISO認証取得」を「出世のため」など最初から「自分ため」にやっている
→本来、ISOの推進を協力すべきキーとなる経営層が感情的に動かない、あるいは「ISOを毛嫌い」する
→「ISOを学んだことでマネジメント力が向上し結果として出世につががった」が本来の姿
・そもそも「ISOは仕事に活用できる」と信じて導入推進していない
→「ISO思考」を定着させるための努力をしていない
などがある。

上記に挙げた状況に組織がなっていると、担当する審査員もコンサルタントも「真の応援団」にならない。
つまり「組織を良くしたい」と思って組織全体が動いていないと「いい意味での外圧部隊」もシラケてしまい最大限の効果を発揮しないのである。

いろいろと考えていくと「ISO思考」を社会人がそもそも身に付けていれば、「感情面が先に立つ」、「5年後10年後の利益より目先の利益」という発想が生まれず、組織や社会全体がもうちょっとマシな議論ができ、有効的な行動に繋がる・・・と考える理由なのである。

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